保育は大河ドラマのように

卒園児


大河ドラマ
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オレンジ
卒園児

元気に一年生してるよ

 5月17日は待ちに待った一年生のつどい。みんないい笑顔でバスを降りてきます。先生に飛びついて、抱っこする子、2階の保育室へ駆け上がる子、まずターザンのロープにぶら下がる子…たちまち”そのっ子”に逆戻りです。
 園庭で待っていたヤギのメリーも、草をもらって上機嫌です。
 保育室で輪になって久々の再会の喜びをかみしめました。学校名とクラス名を順番に「**小学校、一年*組です」と、どの子も「デス」をしっかり言えました。靴下を履いている子が、どのクラスも半数以上いました。

 新しい生活にそれぞれ順応して、生きているたくましさを感じさせてくれました。そのでの自由闊達な生活が、そうした柔軟に対応する、言わば生きる力を育てたのでしょう。
 自己紹介を終えるころはすっかり打ち解けて、三々五々、水路に沿った道をいたずらしながら運動公園まで歩きました。初めアカツメグサを摘んでいた子が黄色の花、城や赤の花と10種類以上の野の花を抱えています。草笛を吹く子、水路に笹舟を流す子…至福の時間が過ぎていきます。
 運動公園の芝生広場でおやつのドーナツを食べました。形のいびつな、あの懐かしい「その」手作りのドーナツです。冷たい牛乳も最高でした。

 あっという間の2時間余りでした。今度会えるのは夏祭りか、運動会か。…でも、期待したとおり楽しい、充実した再開でした。みんな満足した表情で、バスからさよならを言って帰っていきました。




遠くは北海道から6年生のつどいに83人集まる

 3月28日、六年生のつどいが開かれ、2001年度卒園生83人が懐かしい「その」に集まりました。けんと君は飛行機で北海道から、れいなさんはお母さんの車で羽村市から駆けつけてくれました。また、とおり君は今日のために家族の海外旅行には行かないで参加しました。インドネシアからきこくしたばかりのじゅんたろう君も顔をみせてくれました。
 最初は友だちを思い出せないで、手持無沙汰にしていた子も、蓮光寺の土手へ散歩に行くうちにはだんだん思い出してきて、表情もなごんできました。土手の下で氷鬼を楽しんだグループもありました。そのに帰って、やきそばと牛乳のおやつを食べた後、深野園長から「そので跳び箱に挑戦したり、人形劇に真剣に取り組んだときのように、中学校でも学習に集中力を発揮するとともに、本当の友人をつくり、新しい体験に積極的に挑戦して下さい」と、はなむけの言葉を贈られました。




杉田 連くん(小二)
全日本学生美術展入賞

 卒園生の杉田連君の「かばのおやこ」という作品が伝統と格式のある全日本学生美術展で「推奨」賞を受けました。
 連君のお母さんは「子どものそので伸び伸びと遊び、学び、全てを受け入れられて過ごしてきたことが、いまの問題の多い学校の中でも、素直に、一生懸命、またいい加減もできる、いまの彼のの心の、しなやかで芯の強い土台を築いたと思います。そのような心は何を学ぶときもいい方へ向かうように思います」と受賞の喜びを語っています。




菜々子さんが友だちと合作した絵本がコンクールに入賞

 卒園生の夏目菜々子さん(ふじみ野市立東原小学校3年)が、クラスの親友菅家はづきさんと合作した絵本「ドングリ町のドーンドングリ」が、このほど「家やまちの絵本」コンクールに入賞しました。
 夏休みの間、毎日のように集まって、ページを分担したり、イメージを一致させるために話し合ったりして、ついに完成させたということです。
 フィクションの自然な、面白いお話です。絵もとてもていねいに描きこまれています。協力して仕上げたことも立派ですね。絵本が大好きという二人のこれからの成長が楽しみです。
 このコンクールは、住宅月間中央イベント実行委員会と住宅生産団体連合会が主催し、国土交通省・文部科学省などが後援しています。


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育ててくれてありがとう そのは人生のかけがいのない日々でした

                     TBSアナウンサー 長 峰 由 紀

 子どものそので過ごした日々は、なんと穏やかな澄んだ時間であったことでしょう……。目をとじてあの頃を思い出せば、どんなときでもそれはそれは優しい気持ちになれる、人生のなかでかけがえのない日々だったのだと思います。
 当時の私にとって子どものそのの方針とか教育理念などは、もちろん意識の外にあったものでした。ただ、ひたすら田んぼを走り、カエルをつかまえ、空気をお腹いっぱい吸い、季節ごとの風に吹かれ、歌をうたい、笑い合ったり……。今思えば、あれほどのびやかに生きた時代はなかった。あれこそが生きた勉強だったと思えるのです。 大人になるにつれて、あの時間の重さが身にしみるようになりました。

 さすが断片的な記憶ではありますが、先生のまなざしやバスに手を振る友だちの笑顔、どこまでも続くように思えた田園風景……みんなの歌声も、父の日に作った工作も、ちゃんと覚えているのですよ。30数年以上たった今でも、それらを懐かしい映画のように思い出せるなんて、私は幸せです。


      理事長のきりえ展を見る長峰さん

 よくぞ子どものそのに通わせてくれたと、親にまで感謝してしまうほどです。こんなことがありましたっけ……寒いクリスマスイブ、サンタクロースのおじさんが我が家の玄関に立っていました。歓声を上げて出迎えた兄と私。頂いたプレゼントが、前から欲しがっていたおもちゃだったことに驚き、「どうしてわかったのお?」と大はしゃぎしたあの嬉しさ……。ずっと後になって、母から「あのサンタのおじさんは能登園長先生だったのよ」と聞かされました。遅すぎるお礼ですが、本当にありがとうございました。
 また以前、会社でお世話になっている気象予報士のお子さんが、子どものそのに通っていると伺い、「田んぼはまだありますか? あののびのびした生活は今もおなじですか?」とたずねると、「そのままですよ」とにっこり笑ってお答えになったのです。思わず「お子さんは幸せですね」と嬉しくなりました。

 親が必要以上の期待を子どもにかける時代です。
 型にはめた教育や実感のない勉強にがんじがらめになっている子どもたち。
 その歪みが、あちこちから吹き出す暗い事件が後をたちません。そんなニュースを報道するとき、私は自分が過ごしたおおらかな園を思い出さずにはいられないのです。
 この先、時代の波は大きな力で襲ってくるかも知れません。それでも、どうか子どものそのは変わらずに、あのさわやかな息吹を子どもたちに伝え続けて下さい。
 育ててくださって、ありがとうございました。


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邦楽の世界を広げたい 吉田珠美さん

 第14回卒園生の吉田珠美さんは、東京芸大音楽部邦楽科を卒業、いま筝(琴)で身を立てようとがんばっています。
 お母さんが琴の師匠さんだったので、いつからか興味を持つようになり、小学2年のときから東京の先生について勉強を始めました。
 東京芸大は国立といっても、邦楽の世界では家元制度の影響が強いようです。 珠美さんは筝曲の世界では最大派閥である宮城会に所属を移し、三浪してようやく入学を果たしました。今年3月無事卒業して「教師」の資格を習得、お弟子さんも持てるようになりました。卒業後は芦垣美穂先生に師事するとともに、、NHK邦楽技能者育成会46期生として学び続けています。

 この封建的な世界で、何のコネもなく入学でき、卒業できたのは、珠美さんのがんばりと実力だったかもしれません。「わたし、負けず嫌いですから」と、彼女は言いますが、それを支えてくれたのは家族でした。小学生のころ、週1回の稽古を休んだことがありません。熱を出して気分が悪かったとき、駅からお師匠さんの家までの坂道をお母さんがおんぶして登ってくれたことを、いまも忘れません。
 彼女は、演奏家としての実力よりも肩書きが決定的な邦楽の世界、流派の仲間内だけで通じ合っているこの世界の狭さを、身をもって知りました。
 「邦楽の世界を広げたい。開かれた音楽、世界に通じる筝曲をめざしたい」と、珠美さんの心は大きくふくらんでいます。
 なお、珠美さんはやはり卒園生で小3になる吉田凌士君のおばさんにあたります。




卒園生のメッセージ

 「その」は私のたからもの

                  文学座 征 矢 か お る

 私はあまり記憶力の良い人間ではない。というか、自分の興味ないことは比較的簡単に忘れ去ってしまう。けれども、「その」のことは良く覚えている。

 広いグランドでのバレーボール(もどき)、運動会の日に熱を出したことや、ブランコにのっていて落ちそうになったこと、様々な思い出が甦る。裏門のすぐから田んぼが広がっていて、レンゲの咲く時期にはピンク色の海原にダイビングした。ねばりつくような、つんと臭いのする泥の中に膝まで沈んで、どじょうをとった。次から次へと浮かんでくる。
 今、世の中はどんどんデジタル化している。勿論その分ものすごく便利になった。実際その恩恵を受けているのだから、デジタル化そのものがすべて悪いことだ、などと言う気はない。けれども、その一方で、決して失ってはならないものがあると思う。
 実際に何かに手で触れること、何かを嗅ぐこと、何かを見ること。「その」での体験は、まさしくそれだった。ヴァーチャルではない、確かなものだった。これがどんなに大切なものか。私は心からそう思う。
 本当に、「その」は私のたからものである。


お願い

「卒園生の消息」のページを新設しました。各方面で活躍している方、地道にしっかり生きている人などの情報をお知らせ下さい。



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