子どものそのからの

メッセージ



子育て相談室
総目次

「その」からのメッセージ 目次

1.子ども本来の姿求めて
2.子どもの気持ちに寄り添って
3.めざす子ども像を改正した意図
4.お父さんの遊び心
5.幼稚園教育要領改正
6.おふくろの味は文化
7.文庫の講演会で学んだこと
8.人間らしく人を愛して生きる力を
9.人形劇の実践報告
10.楽しいことから心をひとつに
11.斎藤先生を送る
12.「自分の一番の力だよね」

11.おとなの中で生きる子ども
のつらさ

12.保育内容からみた「その」の歴史













     保育内容からみた「その」の歴史     理事長 能 登 眞 作

   ■いま「その」の存在は
 少子化が進んで、幼稚園から大学まで「子ども集め」が経営の重大課題になっているとき「その」は逆に入園希望者が増えて安定してきた。 
 自然の中で友だちとぶつかり合って遊び、ひとを愛し愛されて生きる力の基礎を培うという保育方針と、泥まみれの保育実践が改めて評価され、地域社会に受け入れられてきたのではなかろうか。
 高度成長、バブルの時代に早期教育の風潮が日本中を風靡したが、「その」はそれに動じなかった。時代がかわると、ゆとりの教育などと言って子どもの成長・発達を信じない国の方針にも惑わされなかった。

 「遊びをせんとや生まれけむ」と遊びながら成長する子どもの姿に感動した古代歌謡集「梁塵秘抄」の心を忘れなかった。遊びが滅び、遊ぶ子ども集団が滅んでいく時代を、「その」は遊びの復活に心を砕いた。それがこんにちの「その」を育てた。

 ここまで「その」が成長できた原動力は三つある(と私は思っている)。
 第一は、最初の「設立趣意書」に「小学校の予備校的な教育はしない」と明記し、幼児期に必要な体験を重視した教育・保育の理念を守り通してきたことにある。
 第二は、絶えざる研修と民主的な話し合いによって保育計画を豊かにし、一人ひとりの子どもの思いに寄り添って実践できる保育者集団を育ててきたことである。
 そして第三は、保育の取り組みを暖かく見守り、職員と共同して「その」の保育と経営を支える父母たる生協組合員の存在が力になったことである。
 ローマは一日にして成らず…「その」の歩んだ道も平坦ではなかった。いま、その来し方を振り返るのも意味のあることではなかろうか。

   ■はじめの一歩
 新しい保育施設を自分たちの手で立ち上げようと、親たちが集まったのは昭和三九年(一九六四年)の七月のことだった。九月二三日、霞ヶ丘団地集会所で「保育生協」の設立総会が開かれ、一一月末には稲の切り株が残る田んぼで起工式が行われた。やがて広々とした田園地帯に六角形の真白い園舎がが完成したとき、出資した親たちは「奇跡だ」と喜んだ。
 一年足らずの準備期間にどんなドラマがあったか、どんな困難が私たちを見舞ったか、それは後日に譲る。ここでは開園した後、保育内容を確立する上での困難と、それを乗り越えてきた私たちのもうひとつの奇跡について語りたい。
 昭和四〇年(一九六五年)四月一〇日、年中組二クラス七二名、年少組二クラス五〇名で「その」は開園した。先生が四人、助手が一人だった。
 小人数でもかき集めの先生が一つの園を運営するというのは大変なことだ。朝の集まりをやるにも「私の園ではこうだった」と誰かが言えば、別の人は「私たちは…」と別の経験を言う。一事が万事だから、年配の主任の先生がこうと決めて指図する形になる。
 保育計画にしても年中組と年少組の二枚を主任が自宅で書いてきて「こんなものでどうでしょう」と言って出されれば意見を言うのも難しい。
 放課後、お茶を飲んで、今日の子どもたちの様子を談笑する。若い先生はその中で得るものが大きい。でも、主任にとってはムダなおしゃべりだ。「さあ、お茶がすんだら装飾の続きをやりましょう」。真新しいガラス窓にセロファン紙で飾る。主任の手は魔法のように動いて美しい花や草が輝く。先生たちは黙々と働く助手に過ぎない。

 あるとき若い先生が言った。「わたし、飾るんなら子どもと一緒にやってみたいんですけど…」。主任はそれには答えず、「私が先生になったばかりは誰も教えてくれませんでしたよ。夕方、みんな帰った後、くずかごの中の失敗作を広げて、作り方を覚えたもんです」。
 あるときは保育計画について話し合っていた。一番若い細田先生が「私は、幼稚園教育要領が六領域に分けているのは納得がいかなくて…」と言いかけると、主任はイスをバタンと倒して立ち上がり、鞄を持ってさっさと帰ってしまった。細田先生は涙ぐみ、他の先生はため息をついて帰り仕度をする。…翌日、主任に訳を聞いてみると「ああいう屁理屈が出たら、誰か席を立たなければ終わりませんよ」という。

   ■麦笛荘の若者たち
 開園二年目、園舎を増築して九クラス三百人を超えた。若い先生たちが増えた。後に主任になった斉藤先生、山田(永井)先生、助手の美津子先生も夜学を終えて先生になった。若い先生たちは、大原の住宅の二階を借りて「麦笛荘」と名づけ、共同生活を始めた。「その」の薄給では一人では生活できなかった。
 当番で炊事をする。貧しくても食事は楽しい。今日あったこと、感じたこと、何でも話し合えた。二年目の細田先生と美津子先生が若者たちのリーダーだった。職員会議では話せないことも、ここでは話し合えた。いや、むしろこれが実質的な職員会議でさえあった。

 この頃のことを後年、美津子先生は「そのだより」に次のように書いている。

 「カリキュラムもない。保育方針もない。去年はとか、前はこうしたとかいうものが何もない。あちこちから集まった先生たちで、ともかく保育を始めなければならなかった。保母一人ひとりがどんな保育をしてもよいという自由があり、その自由は、不安な見通しのない自由であった。…
 しばらくすると、きちんと行儀のよい保育の好きな先生と、泥んこになって友だちと遊ばせることを主張する先生の対立が始まった。私はどちらともわからないほど無知であった。一生懸命勉強して、子どもにぶつかっていった。子どもたちは私の良き先生であった。夏休みには1ヵ月中、あちこちの研究会に参加した。夜遅くまで仲間と話し合った。
 目の前のベールが一枚一枚はがれていくようであった。うれしくて夢中だった。子どもがだんだん見えてくる。一人ひとり顔もちがう。心もちがう。
 そうしているうちに自分の考えがはっきりしてきた。子どもたちが泥んこになって遊ぶということが、どんなに大切かということがわかってきた。」……

   ■親たちの混迷の中から
 先生たちの中に保育のありようをめぐって対立がくすぶっているとき、親たちも混迷を深めていた。親たちは「いい保育」を求めて「その」を作ったのであるが、「いい保育」ということのイメージは人それぞれであった。それを父母と先生の交流、協力の中で大きな合意に高めていくのが、本来「その」の果たすべき役割なのだろう。しかし、先生たちに共通の理念や目標がなく、気持の上でもバラバラな状態では、それは父母に投影され、父母もまた団結を失いかけていた。

 人口急増で幼稚園が不足し、定員を無視した詰め込みとお利口さんをしつける保育が普通になっていた街の幼稚園の在り方に反発して「その」が生まれたはずだった。
 しかし、子どもたちを自由に遊ばせ、友だちとぶつかり合って保育しようとする若い先生たちが増えると、親たちの中から「幼稚園的な教育の良さが軽視されている」と批判の声が上がった。経営の苦しさ、赤字の累積もあって、創業間もない「その」は混迷と対立が深まるばかりだった。
 先生はバラバラ、親は勝手な文句ばっかりという状況から、どうやって抜け出せばいいのか。私は、創業者でもある親たちの意見はしばらく棚上げして、まずは創立趣意書の理念を保育に活かせる先生たちのまとまりを作ることに力を注ぐことにした。
 最初の卒園生を送り出した三年目、それまで保育の中心にいた主任が退職した後、保育計画の自主編成に乗り出したのがそれである。しかし、「若い先生を重んじ、父母を軽んじている」と反発して、たもとを分かった役員がいる。一方、暖かく若い職員を見守ってくれた理事もいた。もう故人となった笠木忠夫さん、磯山昌枝さん、今も元気な吉川道子さんたちの顔が目に浮かぶ。

   ■保育計画のはじめの一歩

 カリキュラムづくりの最初は、今年度の保育目標を「どんな子どもに育てるのか」という角度から、みんなで出し合った。
 「偏食をなくする、というのを入れて。せっかく給食をしているのに、好き嫌いが多すぎると思わない? わがままを直すためにも入れて」と、一人が神経質に言った。
 目標を「こころの問題」と「からだの問題」に分けて、みんなが思いつくことを記録していく。思いつきだから、理想の子ども像というにはお粗末だった。「よくできたじゃない?」と満足そうな先生もいる。
 大事なことはこの文章の完璧さではなく、自分たちで考え、自分たちでまとめた点にある。その意味でこの「目標」は生きていた。どんなに内容が不十分であっても、一人ひとりの実践の目安になるのはもちろん、みんなで話し合うときの共通の物差しとして役立つだろう。そしてそれを作ったことで、先生たちは主体的に保育する集団へ、新しい一歩をしるしたのだった。
 それから丸三年、「その」は最初のカリキュラム作りに心血を注ぐ。 

    ■保育計画か教材研究か
 創業三年目、私たちは本格的に保育計画づくりに着手した。今日の保育が明日にどうつながるのか、見通しをもった仕事がしたかった。
 東京から講師を招いて保育計画の研究会を開いた。四月の保育案を大きな模造紙に書いて壁に貼った。「ほほう。ここの園は入園式をやるんですか」と、東京の先生は妙なことを言い出した。「なんのためにやるのか、説明して下さい」
「入園式ですか…」みんな戸惑っていると、「では、理事長に聞こう」
「そりゃ入園式くらい、やってくれないと困りますよ。どこだってやってることだから」

 「世間がやるからやるわけ? そんな教育ってあるかなあ。目的がはっきりしないなら、入園式なんてやめた方がいい。僕たちが目的と言うのは、子どもをどう変えるか、どう高めるかということだ。儀式としてやるにしても、そこに子どもがいるからには教育活動だろう。どんなねらいをもって入園式をやるのか、それひとつで園のレベルがわかるね」
 むろん「その」も無目的に入園式をやったのではない。ただそれを言葉で簡潔に表現できないのは、私たちが論議して目的や目標を確認しあっておらず、お互いにあいまいな認識でいたからである。そして、このあいまいさが私たちのレベルでもあった。

 月一回、東京の先生との研究会を続けて、これから夏休みというときにみんなで話し合った。意外なことに若い先生たちから、保育計画もいいけれど、いますぐ役に立つ教材研究などがしたい、という意見が続出した。系統的な保育とか、見通しをもった保育とか言う前に、いま何をすればいいか知りたいと、その声は切実なものがあった。保育計画づくりに熱中していただけに胸にこたえた。
 しかし、保育計画づくりをやめるわけにはいかなかった。目前のひとつひとつを明らかにしたとしても、やがて必ず何のために、何をめざして保育するのかという大きな悩みに直面するだろう。若い先生たちは気づいていないが、何のために、何をめざして保育するのかという大きな理念で一致しないかぎり、具体的な実践の話し合いも深まってはいかない。

   ■四万温泉の合宿で得たもの
 夏休みが来て、幹部職員と保育計画の骨格をつくろうと四万温泉に合宿した。「保育の友」や「月刊カリキュラム」といったいくつかの保育雑誌を分析することから始めた。4月号から順番に「自然の12カ月」「音楽リズムの12カ月」といった一覧表をつくった。それぞれの領域で4月から5月へ、5月から6月へと、どんな積み重ねが用意されているのだろうか。
 「へんだわね。これ…」
 一覧表には何の系統性も認められなかった。春は花、夏は水と季節によりかかって、子どもの発達ということは二の次になっていた。内容がてんこ盛りでとてもやりきれないのも目立った。
 文は具体性にない美辞麗句が多い。たとえば月刊カリキュラム誌の五歳児一月の「絵画製作」を見ると、「お正月の経験などから、とらわれのない意欲的な表現をさせる」とある。「とらわれのない表現」というのは、見たまま感じたままに伸びやかに表現するといった意味だろうか。だとすれば、それはいつも大事にしなければならないことで、正月の絵に限ったことではない。年長組一月の発達に見合った課題と言うわけではないのだ。
 言葉は認識である。言葉は思想だ。ひとを教育しようというとき、意味もない修飾はどういうものだろうか。
 合宿の最初の収穫は既成の保育案に頼るのでなく、自分たちの保育は自分たちで考えるしかないということだった。 

   ■保育の流れを台本にする
 参考に持参した中に座間市のある幼稚園の保育計画があった。芸術教育を主軸にするというこの園は、保育内容を生活指導、演劇、美術、音楽の四領域を設定していた。
 私たちが注目したのは絵本「ひとまねこざる」を台本に、この絵本に出てくる言葉を単元に、年間の保育をひとつのドラマとして捉えようという発想である。たとえば三歳児の四月は「だいじょうぶ、でていく、そと、おむかえにきます」など、子どもの生活に関係深いものや教育目標に関係づけたい単語や短文を選んで各週のテーマとして配列している。
 面白いが、絵本の限られた言葉に縛られて、こじ

つけの、おとなの言葉あそびの感もあるが、保育計画をひとつの「台本」として捉える着想に心を惹かれた。合宿の後半は、保育計画の台本づくりに集中した。できれば三歳児から五歳児までの三年間をひとつの大河ドラマとして描きたかった。

 まず年少組一学期のねらい―「新しい集団生活に慣れさせる」と誰かが言って、「年少の新学期は集団生活と言える?」
 「うん。集団と言うと、もっと組織的な人間関係を連想するものね」
 「それに慣れさせる…保育者から言えば慣れさせるでも、子どもたちにすれば慣れるだし…どっちから見るの?」
 「慣れるのか、なじむのか。鈍感に慣れっこになるイメージではなくて、主体的に新しい環境を受け入れるという意味では、なじむの方がぴったりする」
 議論を重ねて、三年間の期のねらいが定まった。

 年少組(三歳児)

   一学期 新しい生活になじむ
   二学期 みんなと一緒にできるようにする
   三学期 じぶんでできる

 年中組(四歳児)

   一学期 新しい生活にふれ、集団生活に参加する
   二学期 活発な表現活動を通して、友だち関係を発展させる
   三学期 一人ひとりの力を確かめる

 年長組(五歳児)

   一学期 新しい集団に積極的に参加する
   二学期 考えて行動する力をつけ、仲間意識を育てる
   三学期 集団生活を確立し、学校への準備をすすめる

 これをまとめただけで、これからの保育に大きな展望がひらけてくるような気がした。曲がりなりにも自分たちでまとめた喜びがあった。(今の保育案と比べてみると、当時は目標を高くしすぎたきらいがある。思い込みが強すぎたかもしれない。実践を重ねて手直しされてきたことは言うまでもない)。
 合宿の最後は、旅館のチェックアウトに追われながら、駆け足で「月のねらい」をまとめた。不十分なものではあったが大河ドラマの筋書きはできた。

   ■系統性のタテ糸と総合性のヨコ糸
 夏休みが明けて合宿の報告をもとに、「期と月のねらい」を基本にすえた毎月の保育案づくりが課題となった。
 幼児は生活体験を通じてまわりの世界を自分の中にとりこみ、それを丸ごと栄養にして成長する。生活体験の主な形態は「あそび」であり、幼児は遊びながら知識や技量を身につけ、人格を形成していく。幼児の認識は未分化だから、それを反映して渾然一体のあそびが主な学習方法になるのである。やがて論理的な思考、科学的な見方も芽生えてきて、小学校のような教科学習が可能なレベルに到達するだろう。幼児の発達にかなった課題を準備し、系統的に展開するのをタテ糸とすれば、総合的なあそびをヨコ糸に、あやなしてひとつの世界を形づくるような保育案を具体化したかった。

 文部科学省は幼稚園教育要領に小学校の教科に準じた六つの領域なるものを設定したが、その六領域の相関関係はあいまいなまま、各幼稚園において総合的な保育計画を立案するよう求めている。
 こうした幼稚園教育要領の構造的な欠陥が、これに準拠した保育雑誌のカリキュラムの実践不能なてんこ盛りの保育案や美辞麗句のうすら寒い保育内容の根源になっているのではないか。
 保育計画づくりの中で、われわれは知育、体育、美育、徳育の四領域を設定するとすれば、それを平面に並べるのではなく、その四領域をつなぐ幹として「集団づくり」を置きたかった。集団づくり、生活指導を根幹に、四領域の枝が茂るイメージで、保育の全体像を捉えたい。
 しかも、集団づくりの動脈となるのは言語教育、話しことばの指導ではないだろうか。
 こうした考えで、「月のねらい」を果たしていく上で、「集団づくりのねらい」と「そのてだて」を相対的に重視して、月のねらいの次の位置に掲げた。

 それから丸二年。疲れ果て夜更けて何度居眠りしながら作業を進めたことだろう。「子どものその三カ年保育計画」は、創立五周年を迎えた一九六九年九月に完成した。(つづく)




大人の中で生きる子どものつらさ  いらいらの悪循環を断ち切るには
                                    
 園長 深  野  和  久
 この実践報告は、2006年12月2日、法政大学市ヶ谷キャンバスで開かれた
「第52回子どもを守る文化会議」の分科会で発表されたものの要旨です。
   

 1, ロボットではない人間を求めていたA君
 A君は3歳児(年少)で入園した。大人の気を引くように誰でも構わず馴れ馴れしく話しかけていた。バスの中で送迎の先生が何か言えば、その話に絡んで一人で喋り始めるが、会話を楽しむというよりは一方的に喋っている。周りの子どもたちは話についていけず、うんざりしている様子だった。

 年中に進級するころから、次第に仲間とのトラブルが多くなっていった。嫌がる子をしつこく追い回したり、ことばでからかったりする。そのため「何もしないのにA君が嫌なことをする」という子どもたちの声が多かった。

 そのたびに、担任やその場に居合わせた職員がA君と相手の子、回りにいる子の言い分を聞きながら話し合うが、A君は自分を守るように話をそらしたり、相手のせいにしたりする。相手の気持ちを受け入れるようなところが見られなかった。話が進まず「それは、違うんじゃないの。」などと、大人が意見を言おうものなら、「あっ、そう…。」とふてくされた感じで心を閉ざしてしまう。
 毎日、そういうことが起きるので周りはいらいらし、小さなことでも「また、A君がやってる。」と過剰反応するし、A君も周りから冷たい目で見られたり、先生や大人から注意されたりすることで、ますますいらいらが増幅する悪循環があった。

 A君の親子関係は、最初から少し気になるところがあった。
 帰りにA君がバスから降りると、母親は子どもの顔を見るよりも先に「はい、先生にあいさつ。」と険しい表情で言う。帰ってきたわが子を受け止めるという気持ちが見られない。また、同じバス停の子どもたちともトラブルが多く、親同士の付き合いも上手くいかない様子だった。
 「しっかり育てなくては」という母親自身の気負いが、A君にも影響していたに違いない。もともと子どもにべたべたされるのが苦手な母親は、小さいころからことばで言い聞かせていたらしい。父親は仕事が忙しいようで、A君にあまり関わらなかった。一人っ子で甘えたい気もちは人一倍なのに、上手く甘えられず、自分の存在を誰かに認めてもらいたくて、必死にぺらぺらと喋っていたのかも知れない。また、トラブルを起こすことで、周りの目を自分に向けさせていたのかも知れなかった。

 年中の一学期、昼寝のときにあまりにふざけすぎ、担任に怒られ、それでもへらへらと笑っていたので、とうとう私(園長)のところに連れてこられた。それまでにも何度か話し合ったが、この日は真剣に話してみようと思った。長い時間話し合って(私が一方的に話しただけかも知れないが…)今にも泣きそうな表情になっていたが、最後まで自分が悪いと認めなかった。そして、A君の口から出たのは「おまえなんかロボットだ」ということば。…それには返すことばがなかった。
 彼が求めていたのは、自分の行為を制止する「ロボット」ではなくて、自分のもやもやする心に寄り添ってくれる「人間」なのだ。

 それからは、A君のことを頭ごなしに叱るのではなく、A君の代わりにみんなに謝ったり、気持ちを代弁したりしながら、「おれたちは、仲間なんだから」「困ったときは助けるから」という気もちで関わった。
 二学期後半、コマに興味を持ったので「一緒にコマの対決をしようよ」と誘い、練習が始まった。「園長、またあそびに来てやったぜ。」と、クラスの活動の合間に、職員室に通ってくるようになった。
 ここではっきり分かったのだが、彼はかなりの不器用である。紐もうまく巻けず、最初のうちは捲いてあげたが、それでも回ったり回らなかったり。体や腕の動きがとても固い。近くでは、年下の子たちがすいすい回している。
 とはいえ、口先だけではない手指を使った遊びで、仲間との共感を経験したことは、大きな前進だった。勝ったり負けたりしながら、相手を受け入れる余裕も少しずつ生まれてきた。年長の後半にはベイゴマにも挑戦し、相変わらず不器用ではあったが、少しずつ自信もついてきた。
 職員全体でA君のことを受け止める構えができてくると、彼の表情がだいぶ穏やかになった。また、困った時には先生を頼ったり、甘えるようなしぐさも見せるようになった。クラスの中もだいぶ落ち着いてきて、A君のことで大騒ぎをしなくなった。A君と一緒にふざけて追いかけっこをする子も出てきた。
 職員全体でA君のことを受け止める構えができてくると、彼の表情がだいぶ穏やかになった。また、困った時には先生を頼ったり、甘えるようなしぐさも見せるようになった。クラスの中もだいぶ落ち着いてきて、A君のことで大騒ぎをしなくなった。A君と一緒にふざけて追いかけっこをする子も出てきた。

「延長保育に入れたい」と母親が仕事を始めた。近所の友だちと気を使いながら遊ぶよりは、園でゆっくり遊ばせたいというのが本当の理由だ。確かに、延長保育はA君のペースで過ごせる貴重な時間であった。
 だいぶ慣れてきた頃に、「早くお母さんに会いたい」と甘えの気持ちがでてきて、少し早めに迎えに来てもらったこともあった。母親もそういうA君の気持ちがようやくわかってきたようだった。

 年長の2学期に、A君が前をよく見ずに走って、年下の子を突き飛ばして怪我をさせてしまった。A君は相手に対して「そんなところで急に立つからだ。」と言っていた。

 その事をA君のお母さんにも率直に話してみた。そして、「A君自身が一番ショックを受けているんだから、お母さん絶対に怒ったらだめだよ」と念を押して分かれた。お母さんは、家に帰って、A君が自分で話し出すのを粘り強く待ってみたが、とうとう話が出なかったので、「今日は何かあったの…。」と話を切り出したらしい。そして、親子一緒に相手の家に行って、まず親から謝ったのである。
 それはつらい出来事ではあったが、親子にとっては一つの壁を乗り越え、信頼の絆が深まる契機になったかも知れない。

 2.親と子どもが向き合う「はじめの一歩」に

 「気になる子」にどう接するか、園だけが必死に考えていてもなかなか解決するものではない。それはやはり家庭との連携が重要で、一緒に相談するだけでも何らかの手がかりが得られ、子どもが変わってくる場合がある。ただ、いきなり「相談しましょう」と持ちかけても、本音で悩みを語れるわけでもなく、逆に「うちの子に心配はありません。」と、心を閉ざしてしまうことさえある。

 親たちは、子育てに対する意識や関心がないわけではない。むしろ、子育てに対する意識や関心は強いのだが、子どもと心が向き合っていると言えるだろうか。お金を出して勉強会に通ったり、良い絵本を求めて遠くへ出かけたりもする。ただ、そういう思いが必ずしも子どもの気持ちとかみ合わずに、熱心さが一人歩きしている印象がある。今、子どもたちが何に熱中し、親に何を求めているのかを分かって欲しい。つまり、子どもとあそびや生活で真に向き合うことが必要なのだ。

 3.アスレチックづくりから、子どもに目が向いてきた  お父さんたち

 母親が一人で子育ての悩みを抱えているケースは多い。子どもの相談で話し合っていても、途中から父親に対する愚痴になっていることがある。厳しい労働の実態はありつつも、どこかで子どもに対する目を開き、幼児期のうちに父子の信頼関係を築いておかないと、思春期になって取り返しがつかない。
 一昨年、園の40周年記念行事として、アスレチックづくりに取り組んだ。企画をしたのは理事(父親)たちである。まずは、何ヶ所かの公園を視察し、デザインの作成。

ここで、設計の仕事をしている父親に、「子どもたちのために、どうか専門家の力を貸してください」とお願いし、仲間に加わってもらった。さすが専門家、父親たちのいろんな意見を受け止めて、帆船をイメージしたあそび心たっぷりの設計図ができた。

 次に材料の調達。埼玉の山奥にある名栗村(現在飯能市)に出かけ、役場に協力を求めた結果、山林の中の間伐材(丸太)をもらえることになった。
 無料とはいえ、急斜面から林道まで丸太を引き出すのが大仕事。園全体に手紙を出して父親たちに「アスレチックづくりのボランティアになってほしい」と呼びかけたところ、約50人から「参加したい」という回答が届き、丸太をとりに行く日は約20人が参加した。山仕事など誰もが初体験。お互いに初対面なので口数は少ないが、間伐材を運び出し、トラックに積み込む作業を繰り返すうちに気持ちがほぐれて、不思議な連帯感が生まれてきた。

 その後、毎週土日に集まっては、園庭の植木を掘って植え替えたり、基礎のコンクリートを流し込む穴を掘ったり、名栗村から取ってきた杉の丸太の皮むきをしたりと作業が続いた。大型の機械などないので一つ一つ手作業で重労働だったが、父親たちのエネルギーはもう止まらなかった。9月から始まり12月末にはほぼ完成し、忘年会は船のアスレチックをライトアップして、焚き火と鍋を囲んで行われた。
 こんなに熱心な父親たちも、実はどこにでもいる「普通のお父さん」で、普段は仕事に追われ「子どもの寝顔しか見ていない」という人がほとんどだ。また、アスレチックを始めるまでは、子育てにそれほど意識的でなかったという

人もいる。設計を担当したCさんも、「これまでは園の行事に少し距離を置いていた。理事さんみたいに熱心な人たちがいるが、自分はそこまではやらないつもりだった。」と話していた。そのCさんは、設計だけでなく、アスレチックの作業でも毎回積極的に汗を流し、忘年会の時には子どもの心配なども打ち明けるようになっていた。翌年からは理事になり、運動会の競技中には係の仕事もこなしながら、われを忘れて自分の子どもに声援をおくっていた。

 また、作業中に自分の子どもがうろちょろしていると、怖い顔で叱っていたDさん。母親からも「うちの夫はよく怒るので、子どもとの関係がギクシャクして心配です」と相談があったほどだ。そのDさんも周りの父と子の接し方を見ながら、子どもと一緒に楽しそうに遊ぶようになった。

 アスレチックの作業が予定よりも早く終わってしまった日、突如ベイゴマが始まり、初心者の父親たちにも丁寧に教えながら、みんな夢中になってしまった。その後、このお父さんたちが理事になり、翌年秋の行事では「ベイゴマ教室、ベイゴマ大会」を担当し、新しい父親たちにあそびの楽しさを伝えていた。園の経営にも知恵をしぼりなが

ら、「お父さんと遊ぼう」では中心になって行事を盛り上げている。

 今年の秋から、お父さんたちの畑づくりが始まった。発案者はこれも理事さん。年長組が使っている畑が、夏以降「眠っている」のはもったいないし、自分たちも子どもと同じ体験をしてみたいというのが提案理由。11月のバザーに自分たちの育てた野菜が出せれば園の財政にも貢献できるという活動目標(名目?)を掲げて、園全体に参加希望者を募ることになった。「お父さんが畑やって、本当におもしろいのかなあ…」と最初は半信半疑だったが、毎週メンバーの入れ代わりはあるものの10人から20人がやってきた。親子で会話をしながらのんびりと草をとったり、種を蒔いたり、作業のあとは園の庭にかまどを出して、間引きや収穫した苗を味噌汁にして味わったりと、秋の行事のあわただしさをしばし忘れさせてくれるとりくみだった。

 子どものことや園の行事を口実にしながら、実は自分たちも楽しんでいる、時には子どもそっちのけで夢中になれる、そういう場が今の父親にはとても大切ではないか。息抜きをしながら、父親同士がゆるやかにつながっている。理事会の中には、『お父さんとあそぼう委員会』という部門もあって、山登りやキャンプ、こま大会などを計画的に運営している。園もサポートしているが主に父親たちがそういう働きかけをして、また次の父親たちへと受け継いでいることに、大きな意味がある。

 父親のあそび心や冒険心は、園の保育方針や活動内容の支えにもなる。保育中の散歩でザリガニやカエルを

とるために、泥沼のような湿地帯にずぼずぼ入ったりするが、こうした活動が大胆にできるのも、「今の子どもたちにこれが必要だ」という父親の意識があるからだ。

 「子どもの前で絵本を読んでみようかな」と、園での読み聞かせに母親の代わりにやってきた父親もいれば、歯科検診担当医の父親は、「もっと子どもに歯の大切さを伝えたい」と、歯医者のスタッフを大勢連れてきて、動物の着ぐるみまで着て、劇団のように演じてくれた。父親のアイデアと情熱が保育をさらに豊かにしている。
 園の中にちょっとした活躍の場があったことで、父親の眠っていたあそび心に火がつき、子どもや園のことに真剣に向き合うようになっていったのだ。





 「自分の一番の力だよね」
     ―運動会の取り組みを通して育つもの
            
らいおん組担任 北嶋しのぶ

 ■らいおん組の子どもたち
 
私が担任しているらいおん組は年長組で29名(男児18名・女児11名)の子どもたちです。年長は基本的に一人担任制です。4月当初は、朝の始まりでもなかなか集まらず、人の話も聞かず、やりたいことをやっていたり、フラフラーとしていたりと落ち着きませんでした。また年中時代から課題だった身の回りのことができない子が多く「やって〜やって〜」と人に頼りがちでした。でも、子どもたちはとてもかわいらしく、ふざけっこやままごと、ドロケイなどの

集団遊びや外遊びが大好きです。男女入り混じって遊ぶことができ、クラスで何かやるというと、ぐっと団結し、やる気満々の子どもたちです。そんな子どもたちのやりたい気持ちを保障しながらも、日々の生活にメリハリを付ける工夫をしたり、一つ一つの行事を子どもたちと楽しみながらだんだんまとまっていきました。そして、今回の運動会の活動で、よりクラスの関係も深まっていけばいいなあと思っていました。

 ■運動会で取り組んだ種目
 子どものそのの年長組は次のような種目に、毎年取り組んでいます。
 跳び箱…3段横、4段横、4段縦の3種類の中から、子どもが自分で選んで跳ぶ。(当日は2回跳ぶ)
 はんとう棒…垂直に立てた竹の棒にタンバリンをぶら下げておき、自分のたたける高さにぶら下がっ         ているタンバリンを選んで登っていく。
 リレー…Aグループ、Bグループ2つに分け4クラスで競争する。
 ソーラン節…お父さんと一緒に作った腰紐と、お母さんに作ってもらったはっぴを着て最後に踊る。
         小さい組にとっては、憧れのソーラン節でもある。(伝統的な漁師の踊り)
 荒馬踊り…運動会のオープニングで園庭を二つ跳びと縦ギャロップでぐるぐる回り、開会を告げる。
 どれをとっても、小さい組には憧れの種目であり、年長組の子どもたちは、緊張と誇りを持って当日の朝を迎えるのです。

 ■運動会までの跳び箱の取り組みの流れ
 
8月29日(夏季保育中)〜  先生や友だちの背中で馬跳びなどして遊ぶ
 9月 4日 お父さん参観   お父さんに馬跳びをやってもらい、子どもたちに憧れを持たせる。
        お父さんに馬になってもらい、子どもが跳んでいく。
 9月 6日〜 跳び箱の練習  初めは跳び箱を出さず、踏み切り台とマットのみ。両足で踏み切る練
        習を行う。(クラスごとに室内で)
 9月 8日〜 跳び箱を出す。初めは3段横から。数日間かけて3段横、3段縦、4段横、4段縦を行っ
        ていく。各クラスのペースで。
 9月20日〜 4クラス合同練習。当日まで、ほかの競技と並行しながらほぼ毎日行った。(園庭で)
 9月26日 運動会総練習
 10月2日 運動会

 ■クラスの取り組み
 取り組みを始めるときに「もうすぐ運動会があるよ。今度で、そのでの運動会は終わりだよ。そのの運動会では、みんなが小さい組のときから元気に散歩に行ったり遊んだりして、こんなこともできるようになったよって、見せてあげるんだ」と子どもたちに話しました。
 担任としては、日々の生活での体つくりや山登り・合宿で乗り越えた集団の力を、この運動会の活動でつなげていき、「ちょっと難しいけどやってみよう!」「できるようになりたい!」の気持ちに持っていけるように…と思っていました。
 担任 「大きい組は、リレーとはんとう棒と跳び箱とソーラン節の4つもあるよ。」
 子どもたち 「やったー!」 「エーッ」「できないよう」

 担任 「そうだよね。できないのはそうだよ、はじめてやるんだもん。でもやってみようよ。みんなたくさん遊んでるし、挑戦してるときっとできるようになるかもよ。私もみんなとがんばるからね」
 こんなやり取りがあり、その午後の遊びのときKちゃんとTちゃんが話しかけてきました。
 二人 「うちのお兄ちゃんやお姉ちゃんも、苦手なものがあったよ」
 担任 「でもみんな最後には本当にかっこよくて、すてきだったね」
 二人 「うん。みんな全力でがんばればいいんだよね」
 のんびり屋の二人が、こんなことを言ったのは少し意外でした。

 ■跳び箱をはじめる
 最初に取り組んだときは、跳べる子と跳べない子がはっきり分かれました。また、跳べないと解っていて最初からやらなかったり、わざとふざけていた子もいました。初めは「跳べないから跳ばない」子も保障しながら、取り組んでいる子に声かけをしました。そんな中、跳べないK君を、T君とM君が笑ったのです。その日の帰りの会で子どもたちに話しました。
 担任 「今日はみんな初めてやったのにすごかったね。跳べる子もいたね。でも跳べなくてもどんどん挑戦する子もいて、びっくり。みんなこんなにがんばれるんだって驚いたよ。でもひとつ残念だったのは、一生懸命やってる友達を、跳べないからって笑った子がいたよ。それってどうなのかな」
 子どもたち 「いい気分じゃなーい」
 担任 「そうだよね。先生はチャレンジしていくのってすごく素敵だと思う。だって初めてやったんだものね。K君はもう跳べないからやらないじゃなくて、何度も何度もやってたよ。そうやってがんばってると、絶対うまくなるよ。」
 K君はこれまで、体の力がダラーンと抜けた感じで、あまり意欲的ではなく、ふらふらしている子どもでした。意見を言うこともあまりなく、できなくても「エヘへへ」とふざけてすり抜けていました。しかし、この笑われたのがきっかけかどうか解りませんが、跳び箱の取り組みは真っ先に取り組んでいて、いつも一番最後まで練習し後片付けまでしていました。帰りのバスが遅いときは、毎日必ず3回跳んで帰りました。
 その結果、3段横をクリアしたら、4段縦まで跳べてしまいました。帰りの会で、毎日一人ひとりにスポットを当ててがんばりを伝えていたのですが、K君の姿を話すとみんなが拍手してくれ、さらに自信がついていきました。

 ■「自分の決めたように跳びな」
 ところがそのK君が、運動会の一週間前から4段縦が急に跳べなくなってしまいました。でも毎日4段縦を練習し続けるK君。帰りの会で仲良しのA君がこう言いました。
 A君 「Kはいま、4段縦が跳べなくなっているけど、がんばってやっているんだよ」
 そして、K君の練習に合わせて一緒に練習しているうちに、A君は4段横が跳べるようになったのです。 A君 「Kありがとな。おまえのおかげだよ。」と、言ったのでした。

 どの段を跳ぶか決める日のこと、4段縦を完璧に跳べているM君が4段横にしたいと言ってきました。M君は、何でもできるのですが、心配性なところがある子です。そこで少し背中を押すことにしました。
 担任 「M、自信を持ちな!Mは自信もっていいと思うよ。でもどうするかは、自分で決めていいんだよ」
 K君も縦にするか横にするか迷っていました。帰りに二人を呼んで聞いてみました。
 M君 「4段縦でいく!」
 K君 「・・・・・」
 M君 「K、自分の決めたように跳びな」
 この言葉でK君の迷いは吹っ切れ、4段横に決定しました。

 ■「これでいいの?」
 K君たちのように前向きに取り組む子どももいれば、気持ちが後ろ向きの子どももいました。Y君は初め4段が跳べていたのですが、スランプになってからまったく練習しなくなりました。R君は最初から跳べなくてもいいやという感じで、1,2回やるとふらーと遊びに行ってました。二人ともなかなか跳び箱に向う気持ちになっていきません。このままで終わらせたくない、もうちょっと跳び箱に向う気持ちを持たせたいなと考え、遊んでる二人に声をかけました。
 担任  「うわあ、二人とも3段跳べるようになっちゃったんだ。見せてよ」
 二人  「・・・・」(えっという顔)
 担任  「二人とも運動会はこれでいいの?二人が、『跳べなくてもいい、これを家の人に見せる』ならいいんだけど」
 二人  「やだ」
 担任  「でもやらないんじゃ、できるようにはならないよね」
 しぶしぶやりだす二人。でも何度も練習するうちに、二人とも跳べるようになり、R君は4段まで跳べたのです。給食の時間に自分から「ありがとう」と言いに来ました。
 今回は二人とも、練習する中で跳べるようになり、跳び箱に向う気持ちももてたと思いますが、そうでなければやらせていたということになってしまったのでしょうか。やりたくないのをやる気にさせるのはなかなか難しいです。 

 ■リレーの取り組み
 年中時代からの憧れのリレーです。リレーごっこを楽しんできた子どもたちですが、中には走ることにプレッシャーを感じる子もいます。Aちゃんは、緊張が強く、少しずつ自分を出せるようになってきましたが、まだ心配なことは避けたいのです。またB君、R君はわざとふざけて走り、みんなに怒られていました。
 リレーのチーム分けのとき、Aちゃんが「おなかが痛い、やりたくない」と涙を流しました。みんなの中で走ることが不安だったのです。T君とA君が「俺たちがAを真ん中に入れてあげれば平気だよ」と言ってくれてチーム分けができました。帰りの会のとき、Aちゃんの気持ちをみんなに投げかけてみました。

 担任 「今日のAちゃんは、リレーで走るとき遅かったらどうしようって心配だったんだって」
 女の子たち 「私も遅いからなあ」
 担任 「そうだよね。心配な子もいるよね。でもリレーって勝ち負けや速い遅いが大事なんじゃないんだよ。リレーは大きい組でないとできないんだよ。一本のバトンをみんなでつなげて走るんだよ。これは、小さい組だとバトンをずっと持っていたいと言ったり、順番で走るなんてできないからね」
 子どもたち 「大きい組は待ってられるしね」
 担任 「でも何でバトンなんだろう」
 子どもたち 「どのチームか分かるからじゃない」「つなげて走るから、必要なんじゃない」
 担任 「そうだよね。じゃそのバトンをふざけてポーンて投げて走っていいのかな」
 子どもたち 「だめだよ」
 担任 「でもAちゃんやMちゃん、Nちゃんたちみたいに遅いからやだな―って子もいるよね。でも、みんなの持ってる一番のスピードで走るといいと思うよ。」
 子どもたち 「それって全力ってこと」
 担任 「そうだね」

 この後バトンの渡し練習中、女の子の中から、次にバトンをもらう子が「○○がんばれ、ここだよ」と声をかけるといいと提案がありました。「Tちゃんにがんばれって言ってもらうと、全力の力が出るもんね」ということで、運動会当日もらいおん組はしっかり次の子の名前と「ここだよー」を叫びました。結果は、 Aチーム3位、Bチーム1位でした。どの子もとっていい顔で走っていました。AちゃんもT君やA君のリードのおかげでのびのび走れました。
 ふざけてばかりいたR君とB君は、練習の4クラス対抗リレーのときに、みんなで約束して行ったのにふざけて走り、クラスのみんなから叱られました。帰りの会のときに
 B君 「ふざけているのは、遅いのがいやだから」と泣きました。すると次々に

 女の子たち「 あたしだって遅くていやなんだよ」 「だけど自分の一番の力で走れば、平気だよ」
 「自分の一番の力」が合言葉になったらいおん組。B君も総練習からしっかり走り始め、「きょうのBはかっこよかったよ」とみんなに褒められました。
 一方、R君はただただふざけていたのですが、やっぱりみんながんばって走ってるのに一人ふざけているのはおかしいと言われ、総練習ではしっかりやりました。
 子どもたち 「やればできるじゃん!」
 担任 「今日のR君は顔も真剣でかっこよかったよ」
 R君 「おれ速かった?すごかった?」
 と何度も確認しては喜んでいました。

 ■運動会を終えて
 今年は運動会を終えてからもすぐ終わりにせず、今も跳び箱に取り組んでいます。子どもたちはさらに力をつけて今まで跳べなかった段をクリアしています。そして失敗してもめげずに互いに笑いあいながら挑戦しています。跳び箱を跳ぶことが楽しくて仕方がないといった様子です。そして跳べなかった友達が跳べたとき自分のことのように喜んでいます。友達同士のつながりが、より深くなったなあと感じています。らいおん組では、「自分の一番の力」が子どもたちの中で何かと話題になっています。運動会で終わりというのではなく、いつか跳べるようになるかなという気持ちで取り組んでいる子どもたちの姿や笑顔を見て、これぞ輝く笑顔だねと、4クラスの担任で思っています。

 ■運動会の取り組みで大切にしたことと課題
 自然の中で体と心を使って遊ぶなかで培ってきた力を土台にしながら、ちょっと難しいことに挑戦しようという取り組みのひとつが「跳び箱」です。跳び箱は、気持ちも体も前に出ないと跳べません。勇気を出して挑戦していくのです。自分の体と心の弱さをさらけ出してしまうし、失敗しても失敗してもへこたれずに向っていく強さもはっきり見せてくれます。そういう一人ひとりの心の葛藤や頑張りを、私たちは毎日いろんな場面で見つけ、感じ取り、子どもたちに伝えていくことを大切にしています。すると、子どもたちは「跳べるか、跳べないか」ということよりも「挑戦する気持ち」を実感して取り組み、たくさんの子どもが跳べるようになりました。

 また、友達同士のがんばりを認め合う関係もできてきて、「〜ちゃんは今日はすごかった」「跳べてうれしいね」と言ったやり取りもずいぶんありました。また、仲良しグループで、跳べる子が跳べない子の前をリズミカルに跳び続け、とうとう跳ばせてしまうこともありました。
 初めはスムーズに跳べていた子が、途中で跳べなくなることもあります。恐怖心がでてくるのですが、友だちがこつこつがんばる姿を見て、また一生懸命に挑戦していきます。そうやって自分の力で乗り越えていくのは、大きな自信になっていきます。
 また、運動会当日に、どの段を跳ぶのかは子どもが自分で決めます。アドバイスはしても子どもの意思を尊重します。子どもたちは、「4段横の方が、体がふわっと跳べるから4段横にする」のように、自分で考え判断する力が育ってきています。
 もうひとつ、今回実践報告ではふれませんでしたが、ソーラン節の取り組みは、長い伝統の中で、子どもたちの憧れになっています。海のない埼玉で、漁師の踊りといってもピンとこない気もしますが、一つ一つの踊りの意味を確かめながら踊るのです。そして、かっこよく踊る先生やかつての年長さんの姿をイメージして一人ひとりがソーラン節の世界に浸っています。その姿に今の小さい組たちも憧れで見入っているのです。こういうイメージを膨らませた活動も大切にしています。

 課題としては、担任が引っ張りすぎたのではないかということがあります。「練習する子はすごい!(そのとおりではあるが)」になってしまい、もっと、やらない子の気持ちをていねいに聞いてあげたり、その気持ちをみんなの中に返していくといった話し合いをしても良かったのではと思っています。また、跳べる子の話をもっと聞くなどして「跳べる喜び」や「跳び方」を子どもの言葉を通して伝えていければよかった・・・と思っています。 


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斎藤寿子先生を送る 理事長 能登眞作

 37年勤続の斎藤寿子先生が3月をもって退職された。数年前から体力の限界ということで引退を希望されていたが、ここまでムリをしてもらった。
 一昨年、生協運動の功労者として土屋知事から表彰を受けるなど、その功績はひろく認められていた。「その」とすれば保育の大黒柱を失う思いで、心細い限りである。
 斎藤先生がそのに来られたのは開園の翌年に遡る。

 4クラス(年少2、年中2)でスタートしたが、2年目は年中組が4クラスに増え、8クラスに倍増するときに、斎藤(旧姓吉田)先生や永井(旧姓山田)先生らを迎えた。永年勤続して定年退職された増渕先生、仲本先生は、その翌年、開園3年目の入職だから、斎藤先生は最古参の職員だった。
 「その」は”いい保育”を目指して出発したが、いい保育というものの定番があるわけではない。いい保育と言っても、一人ひとり考えが違った。創業期は、先生と父母とをひとつに結ぶ理念や目標がハッキリせず、みんなバラバラだった。
 きょうの保育が明日にどうつながっていくのか、どんな子どもをめざして保育するのか、共通の見通しと目標を持ちたくて、保育計画の自主編成に着手したのは開園3年目のことだった。そのころになると、行儀よくお利口さんな子に育てようとする先生と、自然の中で泥んこにして遊ばせようとする先生に分かれていった。斎藤先生は後者の中心の一人であった。
 当時、「その」の安月給では食べられなくて、若い先生たちは市内大原に一室を借りて「麦笛荘」と名づけ、共同生活を送っていた。仕事から帰るとみんなで毎日議論をした。休みの日にはあちこちの勉強会に出かけていく。
 学び、実践し、討論を重ねるうちに、一人ひとりの子どもの気持が見えてきた。自由なあそび、生活の中でこそ、子どもの力がぐんぐんと伸びていくのが分かってきた。
 保育計画の大筋がまとまるまでに3年かかった。増渕先生や斎藤先生はその中心になった。誕生会の4月「花のお祝い」、7月「星のお祝い」などのネーミングは、当時お茶目だった斎藤先生の発案になった月が多い。
 今の保育は、それから30数年の積み重ねがあって、創業期のままではないが、模倣でない創造的な保育計画の原型を作った創業期の苦労は、語り継ぐべき値打ちをもっている。斎藤先生が去っても、『その』がそののままであるために、斉藤先生らの功績をしっかりと記録したい。

 そのは既存の幼稚園の保育内容と運営内容を批判して誕生した。親の立場で、あるべき保育を探求した。「その」は最初から歓迎されずに生まれてきたのかも知れない。ありとあらゆる迫害、妨害の中で経営を維持しなければならなかった。その一番端的な例が、市への運動で実現した無認可保育施設への補助金に対して、私立幼稚園側から市議会に出された「無認可への補助金をよして、幼稚園の保護者を援助してほしい」という請願である。こうした理不尽な世論をもとに、私たちへの補助金は何の予告も経過措置もなく一方的に全額カットされてしまった。
 「その」は存在すること自体が戦いであり、勝利であった。斎藤先生はいつもその厳しい戦いの先頭に立っていた。38年の「その」の苦難の戦いをすべて語ることはできないが、「その」に関わったすべての人の喜怒哀楽を、感謝の思いをこめて、斎藤寿子先生に贈りたい。(2003年4月6日。第39回入園のお祝いの前日に)


楽しいことから心を一つに   園長 深 野 和 久

 先日、高知で開かれた全国教育研究集会に参加しました。
 私のレポートは「遊びの喜びを親子で―第28回親子そのまつりのとりくみから」というものです。ここではその内容を紹介しながら、父母や地域とどうやって手を結ぶのかについて考えてみたいと思います。

 @父母同士で行事を作ることの難しさ

 最近、行事の中心になる父母の精神的な負担が非常に大きくなったいます。行事をどう進め、いかにそれを伝えるかに悩み、完全なマニ

ュアルにしたり、人間関係に相当気を使っています。また、あまりにも全力投球しすぎて、終わってから「大変だった」という思いが強く残ります。
 これらは委員個人の問題ではなく、それを支える周りの人たちにもすべて共通する問題です。仲間と一緒になにかを作り出す体験が少なく、関係も希薄なため、自主的な運営が困難となっているのです。

 A親子そのまつりとは

 親子そのまつりは、あそびを親から子へ受け継ごうと始まった行事で、今回28回目となります。ここ数年は、「大人も遊んで、あそびの楽しさを知る」ということに重点をおきました。それは子ども時代にあまり遊ばなかった世代が大人になったために、テレビやハイテクでは遊べても、本来のあそび(ごっこや伝承あそび等)になかなか共感できず、子どもが分からないという親が増えているからです。
 このまつりは、伝承あそびをクラスが一種目担当して、それをクラスの親同士、または親子で練習し、まつり当日はみんなに教えるというものです。

 B実行委員があそびの先頭に

 中心になって進めるのは、各クラスから選ばれた実行委員のお母さんです。全体のイメージを考え、担当種目を決め、クラスの練習計画を立てます。この実行委員が準備に追われ「たいへん」という思いにならないように、実行委員会の方法も考えました。会議の最初に、まず遊んでみる、そのことで実行委員自身があそびの魅力を実感できればと思いました。「草花あそび」「あやとり」「ぶんぶんごま」などを楽しんで、「失敗は成功のもと」「奥が深い」と身をもって体験しました。

 C伝承あそびに触れて大人も変わる

 種目が決まって、まつり当日までは約1ヵ月、この間にクラスごとに練習を重ね、あそびに対する思いが変わってきました。
 児童館へコマの修行に行ったり、陽だまりでおしゃべりをしながら泥だんごを作るお母さんたち、また、子どもと一緒に和紙染めやあぶり出しをやってみて、子どもはこんな風にやるんだと子どもから新たな発見もしました。
 お父さんが会社へベイゴマを持っていって、昼休

みに職場の仲間と練習したとか、子どもが寝静まってから密かに泥だんごを磨いていたお母さんなど、大人が夢中になっているという話も聞きました。
 「自分が子どものころに母が教えてくれた姿を思い出し、心の中がポカポカと暖かくなる思いがした。この子が大人になったとき、同じように思いだしてくれたら」という感想もありました。余韻はその後もすっと続いて、現在はベイゴマ勝負にはまっている子ども、家族がたくさんいます。

 Dみんなが夢中になれる楽しい出番を用意して

 以上が私のレポートの要旨です。研究者として教研に出席した加藤繁美氏は、「園が行事をお膳立てするだけでは親は変わらない。参加や協同という形で、主体者として関わることが大事なのでは」「保育者は控えめに、しかし積極的な関わりが必要」と話されました。 父母との協同、地域との連携をいかに育てるかという問題を改めて考えました。忙しい毎日で、行事や運動を進める難しさはありますが、みんなが夢中になれるような楽しい出番を用意しながら、保育や子育てを日常的に話し合えれば、新しい力はきっと生まれるし、みんながそれを求めていると思います。
 (全幼協ニュース2001年度3号より)



 みんなのアイデアがいっぱい
      「楽しい、嬉しい人形劇」の実践報告

 全国幼年教育研究協議会で「その」の石原雅子先生と内山美恵子先生がおこなった実践報告の要旨は次の通り。

■なぜ人形劇にとりくむのか
@人形作り、せりふ作り、道具作り、演じることなど、さまざまな活動の場面が設定できる。

 その中で一人ひとりのいいところが発揮できる。
A一人ひとりが考えたり、悩んだり、共感しあったりする中で、みんなと人形劇を作り上げ
 る喜びを体験できる。
B長年の伝統と身近に人形劇を見る環境があって、子どもたちの中に人形劇に対する憧れがある。
C子どもが思いを人形に託して、ごっこ的に演じやすい。

■人形劇に主体的に取り組む”カギ”は話し合い活動
 二学期の運動会の取り組みあたりから、子どもたちが変わってきた。苦手な運動に恐怖心と戦いながら頑張っている友だちの姿を見て、「よし、自分も頑張ってみよう」「〇〇ちゃん、すごいな」という気持ちが湧き上がってきたようだ。この取り組みで一人ひとりの成長はもちろん、クラスの雰囲気がいっそう親密になった。
 そして、子どもたちは新しい世界の扉を開ける期待感に満ち、憧れの人形劇活動に入っていった。お話し決め、人形作り、せりふ作り、道具作りそして演じることとさまざまな活動を長期間にわたって続けていくのだが、子どもたちが主体的に「自分たちで作っている」と実感できるように取り組んだ。そのためには話し合い活動が重要になる。
 人形劇では、自分のイメージしたものを言葉で友だちに伝えることが重要で、難しい部分でもあるが、小さい頃からたっぷりごっこ遊びをしてきている子どもたちなので、お互いにイメージしあったり、共感することができたと思う。

■登場人物についての話し合い
 
<ねらい>絵本「おおかみと7ひきのこやぎ」を読み深める中で、一人一人の登場人物
        に対するイメージをふくらませ、クラスみんなで共有する。
 <てだて>戸棚の写真(父やぎ)をきっかけに、おおかみとやぎたちの関係を考える。

Q1.どんなおおかみ?
 *目が怖い *歯がぎざぎざ 
 *こやぎを食べちゃう *強い  
 *だましてこやぎを食べようとしている
 *よだれをたらしている  
 *林の中にすんでいる  *しわがれ声  
 *ハサミで切られてもまだ生きている(A君)

 この中でA君の意見にみんな「そうなんだよ。すごいよね、このおおかみ」「普通なら死んでいるよ」と言い

合って、感心していた。ファンタジーと現実の世界を行ったり来たり自由にしているこの年齢独特の捉え方がおもしろい。白けたり、そんなことあるわけないと否定するのでなく、「すごいおおかみ」と自然に受け止めている。

Q2.どんなお母さんやぎ?
 *やさしい  *糸で縫うのが素早い  *子どもたちを大事にしている
 *子どもを食べられていっぱい泣いた  *頭がいいと思う(B君)

Q3.なぜお母さんやぎは頭がいいと思ったの?
 B君「こやぎを助けた後、石ころをわざと詰めた。そうすれば、石が重くておおかみは井戸にはまるから」
 C君「そうだよ、おおかみが井戸にはまるように、そして死ぬように石を詰めたんだよ!」

Q4.どんなこやぎ?
 *やさしいと思う。お母さん、心配しないでねって安心させようとしているから。
 *仲よしだと思う。  *「おおかみ死んだ」ってダンスするよ。(その気持ちは?)
 *嬉しくて、安心している。

 D君が絵本の中と裏表紙に描かれた小さな写真をさして「これ誰かな?」と訊いた。事前にD君が質問したので、「みんなに聞いてみよう」と話し合っていた。

Q5.これはだれかな?
 *お母さんじゃないの。
 *(D君)おれはお父さんだと思う。こやぎのお父さん   の写真じゃないのかな。
 *(担任)どうしてお父さんがいないの?

 にんまり笑うD君。そして「おれも考えていたんだ」というE君。あっという表情の子どもたち。

 *お父さんは、おおかみに食べられたんだよ!
 *そうだよ。おおかみに殺されたんだよ!

Q6.じゃあお母さんが草を取りにでかけるとき、どんな気持ちだったかな?
 *ドッキンドッキンしてた
 *こやぎのことを心配してドキドキしていた
 お母さんが出かける前に、おおかみに気をつけるよう念押しする場面があるが、そのときのお母さんやぎの気持ちがよく理解できたようだ。すると、誰かがふと疑問を出した。

Q7.どうしておおかみはお母さんやぎが出かけたのが分かったのかな?
 *(C君)おおかみは森に住んでいて、お母さんが出かけたのを見て、こやぎのところへ
  きたんだよ。
 と、絵本のあるページを指しながら応えた。それは黒一色に描かれた森の中に、母やぎだけが着色されている。これはまさにおおかみの目から見た情景と言える。子どもたちが絵本の1ページ1ページを丹念に見ていることがよく分かった。
 この他にも「どうしておおかみは7番目のこやぎをたべなかったのか」とか、「食べ物を取りに出かけたお母さんやぎをどうして襲わなかったのか」など次々疑問が出され、そのたびに活発な意見が飛び交った。

■話し合いの素晴らしさ、発想の豊かさ
 話し合いは時間内にとどまらず、給食を食べながら、遊びながら、また家に帰ってからもお風呂に入りながら、布団の中で……というように続いていった。
 お話しを読み込んでいくおもしろさ、友だちと意見を出し合う(議論する)おもしろさを感じ始めたからだろう。
 友だちの話し合いを聞いて、B君は「前はお父さんやぎが家族のために草を取っていたと思う。でもお父さんが死んだから、今はお母さんが取りにいっているんだよ。だから、お母さんやぎはだんだん強くなってきてると思うよ」と言ってきた。突然の病でお父さんを亡くし、頑張って生きているお母さんを間近に見て暮らしているB君らしい自然な発想であり、母やぎに寄せる思いに心を打たれた。
 こういう話し合いをしていると、子どもたちの発想の豊かさに驚かされるし、日ごろおとなしい子が積極的に発言するのも興味深かった。
 もちろん、きちんと座ってずっと話し合ったわけではなく、自分の意見を言うと遊びだしたり、立ち歩く子もいた。友だちがしゃべるのを待てないということも度々だった。自分の考えを分かりやすく相手に伝えることは、なかなか難しい。こちらで確認しながら補足説明し、「〇〇ちゃん、すごく大事なことを言ったよ…」「〇〇君の考えはおもしろい!」と、子どもたちの中へ戻していった。
 また、その場で発言しなくても、じっくり考えている子もたくさんいた。そういう子のつぶやきや後から言ってきた意見は、そのつどクラスの中へ返しながら、みんなのものにしていった。こうして「おおかみと7ひきのこやぎ」のイメージ作りができ、自分たちで人形劇を作るんだという実感を持って、せりふ作りや劇全体の仕上げに取り組むことができた。 

■当日の子どもの様子
 きりん組の発表は午後だったので、待ちきれない様子で登園してきた。「早くやりたいなあ」「ああドキドキするゥ」などと口々に言いながら緊張感に包まれていた。 「失敗してもへっちゃらだよ。大きな声でせりふを言おうね」と話して会場へ。
 ところが、いざ幕が開くと、こちらの心配など吹き飛ぶくらい、元気に伸び伸び楽しげに演じた。一番緊張していたのは担任だったかも知れない。

 間違えてせりふを教えたり、ペープサ―トをひとつ忘れてきたり…。そんな担任が起こすトラブルをものともせず、子どもたちは見事に演じ切ったのだった。いつも以上に大きな声で一人ひとり個性を出して。少々のトラブルにへこたれず、自分の役割をちゃんと意識して人形劇をやり遂げた子どもたち。一番ドキドキするという、幕前での自己紹介も実に落ち着いてでき、拍手喝采を浴びた。
 人形劇としては、せりふや演技を特訓するわけではないので、未完成な部分はたくさんある。でも、人形劇をごっこ的に演じていた子どもたちが人に見せることを意識してから、急激に変化していった。普段小声でボソボソしゃべっている子が、大きな声ではっきりせりふを言い始め、劇をリードしたり、道具の動きひとつにも神経を使ってていねいに動かす子もいた。
 こうして当日の発表をやり遂げたことが大きな自信となり、お家の人にうんと褒めてもらって、さらに「やった!」という充実感に包まれて、この長い活動を終えたのだった。

■人形劇の活動を通じて育ってきていること、大事にしたいこと
 人形劇の活動とは、単に人形を作って演じるだけの活動ではない。一人ひとりのよさを互いに出し合える活動であり、それを認め合うことで自信につながるのである。
 たとえば生活力は弱いが空想力の豊かな子が、お話し作りでたくさん発言してみんなを驚かせたり、神経質で友だちとのかかわり方が上手でない子が、独特のアイデアを出して劇作りを進め、友だちに認められたり…、クラスの中で認められたことで自信を持てた子どもたちがたくさんいる。
 長い取り組みの期間、ああでもない、こうでもない、こうしようか、どうだろうと、いろいろ話し合いながら、みんなの共通理解にしていったのである。一人ひとりの発想は大事にするが、一人勝手はできない。相手の意見を受け入れたり、全体の中での自分の役割を考えて行動する力がないと人形劇はできない。そうやってクラス全員でひとつのものを作り上げていく喜びと満足感。子どもたちは人形劇を終えて、「楽しくて、嬉しかった」と表現したが、充実感に満ちた活動であった。

 この人形劇の活動を通じて、私たち担任が改めて認識したのは、子どもたちの発想の豊かさと自由さである。いろんなアイデアがどんどん出てくる。それは小さい頃からたっぷりとごっこ遊びを楽しんできたからなのだろう。何でもありの世界で自由にイメージして遊んできた子どもならではの感性。
 こういう柔らかい心が育っていれば、いろんな出来事に対して興味を持ったり、失敗を恐れずやってみようとする気持ちで立ち向かえる土台となるのではなかろうか。私たちはそう信じてこの活動に取り組んでいる。

 この石原先生と内山先生の実践報告は、年長組の4人の担任がみんなでまとめたものです。
 絵本選び、人形作り、せりふ作りなどの実践内容については、「春夏秋冬―楽しい行事」の<人形劇>のページをごらん下さい。


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人間らしく人を愛して生きる力を
           6年生の集いで 能登理事長

 元気な顔を見せてくれて、ありがとう。みんなが卒園して6年経ちました。
 そのにいるときは、毎日毎日よく遊びました。よその幼稚園では字を習ったり、英語を習ったりしていたけれど、そのではそういう勉強はしないで、遊んでばかりいました。何故遊んでばかりいたのでしょうか。

 それは先生たちが、幼児期は遊びの中でこそ「生きる力」を獲得することができると考えたからです。「生きる力」とは何か。それについて私たちは3つの要素でとらえていました。 その第一は、旺盛な知識欲です。新しい知識を獲得する喜びがいきる力になる。君たちは散歩に行って花を摘んだり、虫を捕って遊んだりしながら、いつも「発見」の感動を味わい、意欲を育てたのです。
 第二は、やり遂げた感動をくり返し体験し、自信を育てることです。跳び箱の練習、人形劇のとりくみ、がんばって課題をやり遂げ、「やったァ!」という感動を体験することが、君たちの自信になっていったと思います。
 第三に、友だちとケンカをしたり、共感したりしながら、仲間を愛し、愛されて生きる喜びを育みました。
 このように、旺盛な知識欲、自信、人を愛する心を、遊びの中で身体で会得するというのが「その」の教育の基本でした。
 君たちは今、中学生になろうとしています。中学の生活の中で生きる力を獲得するというのはどういうことだろうか。
 学習を通して新しい知識を獲得する。学習や部活などの課題をやり遂げ、根気や集中力に支えられた自信を獲得する。友だちと深く交わり、協同の喜びを知る。…このように考えると、本質は「その」にいたときと同じではありませんか。
 ただ「その」にいたときより、はるかに高いレベルでそれをやるということです。私は、そのでその原体験をした君たちだからこそ、充実した中学生活を送ることができると確信しています。ときどきは遊びに来て、元気な姿を見せて下さい。
 (2001年3月26日、6年生の集いでのあいさつの要旨です。子どもたちは静かに真剣に話を聞いてくれました。素直で、かしこい子どもに育っているのを実感しました。)


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    子ども本来の姿を求めて
            体育と遊びを一つのものと捉える

                    子どものその主任 深野和久

 今年の子ども白書に「子どものからだ調査2000」が発表されました。これは最近増えているからだの異状について、全国の保育所から高校までを対象に調査したものです。

 この中で特徴的な結果は「すぐ疲れたと言う」項目が、保育所から高校までいずれも上位(保育所では第1位)に上げられていることです。
 なぜ子どもたちは疲れやすいのでしょうか。それは外で遊ばなくなり、身体が十分に育っていないことに一つの原因があります。地域の中に安心して遊べる場所がなくなり、仲間と一緒に遊ぶ機会も少なくなっています。室内の遊びではどうしても運動不足です。
 こうした傾向を反映してか、スポーツ教室やスイミングスクールなどが盛んになっています。しかし、運動だけを目的にした活動(たとえば単純な徒競走など)と鬼ごっこのような遊びを比べたときに、遊びのほうがはるかに運動量が多かったという研究結果があります。運動と遊びを切り離すのでなく、、子どもの自然な遊びの中にこそ、からだを育てる大事な要素が隠されているのです。

虫捕りのもつ身体づくりへの影響

 たとえば、トノサマバッタを捕まえるときのことですが、目はバッタの素早い動きを追いかけながら、草や土手の斜面を右へ左へと方向を変えながら走り回り、最後は足音を立てないようにそ―ッと近づいてパッと手をかぶせる…身体全体のしなやかな動きが必要なのです。
 「その」ではこういう遊びとともに、リズム運動などにも積極的に取り組んでいます。子どもは音楽が鳴るとうきうきして自然に身体が躍動するのです。
 すぐに「疲れた」という子どもたちの姿を「走るの大好き、遊ぶの大好き」という子ども本来の姿に戻していく、それが「その」の保育なのです。
 運動会もその延長線上にあります。子どもたちが運動を楽しみ、年齢とともに成長していく姿をごらんいただくとともに、午後は家族みんなの運動会として、お父さん、お母さんも運動を楽しみ、生き生きとした姿を子どもたちに見せてください。


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子どもの気持ちに寄り添って遊ぶ お父さん参観での能登理事長の発言要旨

 ひよこ組のけいたくんは、おもちゃの受話器を耳に当て「もしもし、うん、うん、あっはっは…」と豪快に笑っています。まねっこ、見たて遊び、つもり遊びが大好きです。こうじくんは家から油蝉を持ってきました。なのはちゃんが「あら、死んでる、かわいそう」というと、「いいの」ときつく言って、こうじくんは別の遊びを始めました。「かわいそうでもいいの?」となのはちゃん、「いいの!」とこうじくん。
この子たちに共通しているのは「かわいい」ということです。でも何と個性的なことか!子どもはこの個性をどう磨き豊かにしていくのでしょうか。文字を知らない幼児は、人と人とのつながりの中で、つまり生活の中で体験しながら、まわりの世界を認識し、自

分の中に取り込んでいきます。豊かな生活体験を保障する人間関係、親、先生、友だちが大事ですね。そして、こうした大切な体験、生活の主な形は「あそび」です。
 「遊びをせんとや生まれけむ」
 
後白河法王編纂の「梁塵秘抄」は「子どもの遊ぶ声を聞くと、身も心も揺さぶられる」と歌いました。しかし、いま街角に子どもの遊ぶ声はありません。子守りをさせられながら、ガキ大将と群れをなして遊び、面白いことも危ないことも、物事の手加減も覚えた遊び集団は、姿を消しました。入園前の子どもは親の完璧な管理のもと、お利口さんだけど遊べない子に育っています。すみれ組の1学期のまとめを見ると、洋服が汚れるのを気にして遊べない子には「着替えがあるから大丈夫だよ」と、その子に寄り添い、不安な気持ちを受け止めて、言葉で見とおしを示して、安心して遊べるように配慮しました。水遊びなど、みんなと一緒に遊べる子とは思い切って遊び、ときには一人一人に寄り添って誘い込み、それでも入らない子には、その子の好きな遊びを見つけて、先生も一緒に遊びました。
 
夢中に遊んで、子どもの心を捉える
 
遊べる子どもにするためにも、先生が先だって遊び、子どもに信頼されなければなりません。年中組では先生の姿勢について月ごとに目標を決めました。4月=やさしい先生。5月=おもしろい先生。6月=びしょぬれの先生。
 年中組(4歳児)は悩みの多い時期です。いろいろ見えてきて、やりたいことはいっぱいだが、自分の思うようにはできなくて、不安だったり苛立ったりします。それだけに心を開いて遊べる友だち、信頼して頼れる先生が大切ですね。 


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         「子どものそののめざす子ども像」
      を改正した背景と私たちのねらい

   30年前、創業期に制定された「めざす子ども像」は、総合的で系統的な保育計画の出発点となったものです。いまこの時点で改正した意  図を簡潔に述べます。(子どものその主任 深野和久)

  はんとう棒の実践で感じられた子どもの変化

 3年前の総会で、「社会の変化に伴って子どもたちが変わってきた」ことを問題提起しました。衝動的で攻撃的な子、ぼんやりしていて周りと関わろうとしない子、排泄や食事などの生活面でつまづいている子などが目立つようになってきたのです。
 私たちは、こうした子どもたちの変化に追随するのでなく、「子ども本来の力」をしっかりとひき出していこうと、子どもの発達についての研究を進めながら、意識的に取り組んできました。3年前の総会議案書では、はんとう棒登りを例にあげました。のぼれる子が少なくなっていくのを手をこまぬいているのでなく、ターザンでぶら下がったり、木登りに挑戦したりしながら、棒の先に果物の模型や楽器をぶら下げたりして、楽しくはんとう棒を登らせ、がんばればできる「本来の力」をひき出す取り組みをしてきました。
 子どものそのの「めざす子ども像」は創業期に策定され、それに基づいて総合的で系統的な保育計画が作られました。それを毎年、毎月、手直ししながら保育しています。しかし社会や子どもたちの変化があまりにも早く大きく、その現実から出発する必要性があると考え、保育計画の全面的な見なおしをすることになったものです。その手始めが「めざす子ども像」です。

子どもらしさが失われている

 3歳児では好奇心が旺盛で、出来ても出来なくてもやってみたい、出来ないと怒ったりするのが普通の姿ですが、このごろは「わからない」「できない」と初めからやろうとしない子がいます。
 4歳児では、グループの給食当番になると、手伝えるのがうれしい筈なのに、数を間違えたり、牛乳をこぼすのが心配で「やりたくない」とぐずったり、「やだから替わって」という子もいます。こうした傾向は年長になるともっと顕著で、新しい課題に極度に緊張したり、抵抗する子が少なくありません。また、何かが出来たことが自信になり意欲につながるといいのですが、たとえば跳び箱が跳べるようになって、「よかったね」とまわりが喜んであげても、本人は「もういい」と、そこで終わってしまう場合もあります。
 人との関係では、なかなか甘えられない子がいれば、ベタベタ先生にくっついて離れられない子もいます。どちらも上手に甘えられないのです。子ども同士の遊びでも、「やっちゃいけないんだぞ」「それはだめ」と互いに牽制しあって、ほんとうにのめりこんで遊べない傾向も見受けられます。
 こうしたことを一言で表現するなら、「子どもらしさが失われている」ということではないでしょうか。

人とつながって生きていくということ

 私たちは、「子どもらしさ」とは何かということを真剣に考えました。
 「甘えたいときに甘える」
 「失敗を恐れないでやってみる」
 「人とつながって生きていく」
 これらのことは、ほんとうならごく当たり前の子どもの姿です。この当たり前の生き方を体験させてあげたいと思います。
 思春期に犯罪に走った少年たちの気持ちの中には、「生きている実感や手応えがなかった」ということが報じられています。そう言う意味では、幼児期からの具体的な経験や失敗、人とのぶつかり合い、自然に触れた感動などが重要で、子どもが子ども時代を豊かに生きている証と言えるでしょう。
 この「子どものそののめざす子ども像」を基本に、保育計画全般を見直し、充実させていきたいと考えています。


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お父さんの遊び心(改訂版)
            理事長 能 登 眞 作


                  子どもと向かい合って遊ぼう

 お父さんの出番は、思春期になってからでは遅すぎる。
 「小さいうちはお前にまかす。いずれ高校受験の頃になれば、おれが面倒見るようだからな」なんて思っていても、今の時代は『親の権威』は地に落ちてしまったから、親しみのない父親の意見を素直に聞く子は、まずいない。子どもに反発されて「何を生意気な。誰のおかげで大きくなれたんだ」などとわめいてみても、後のまつりである。
 幼いときから遊んでもらって、「お父さん大好き」という子どもは、いざという時、お父さんを思い起こすだろう。親の方から見ても、ふだん遊んで子どもの性格や希望をつかんでいれば、いつか壁に突き当たったときのシグナルを見落とすことはあるまい。
 わたしの親は、明治の人だから、子どもと遊んだりはしなかった。親は遊んでくれなくても、近所にはガキ大将がいて、みんなを率いて遊び歩いたものだ。面白いことも、危ないことも、悪さの手加減も、ガキ大将とともに学んで育ったと思う。今の子どもの生活は、物は豊かだが、こうした人間的な体験という意味ではあまりにも貧しすぎる。お父さんの出番のゆえんは、このへんにある。
 そうは言っても、小さい子どもと何をどうして遊べばいいか、遊び方を知らない若いお父さんも多いようだ。手っ取り早いのがドライブ、遊園地、ファミリーレストランだ。だが、これはどれひとつとっても遊びには入らない。むろん子どもは、メカもスピードも大好きだから大喜びする。でも、これによって子どもは何を獲得するというのだろう。子どもと遊ぶということは、子どもを中心に家庭の文化を作るということなのだ。何かというとファミリーレストランという行動パターンは、そのうち「おふくろの味はマクドナルド」などとなりかねない。
 子どもと遊ぶのに金はいらない。すもうを取るもよし、紙ひこうきを折って公園に飛ばしに行くもよし。子どもとは向かい合って遊ぶのが大切だ。ボール投げ、すもう、こま、めんこ、カルタ、トランプ、オセロ、ちょっと大きくなれば将棋。遊び心があれば遊びはどこにでもある。
 アスレチック作りに参加したお父さんたちは「『その』の
子どものため」と考えて頑張ってくださったのだが、作ること自体が面白いと思う遊び心がなければ、あれだけの仕事はできなかったろうと思う。

             子どもの気持ちを大切に

 ゲーム大好きの若いお父さんが、子どもにもこの面白さを味合わせたいと、仲間に引き込むケースによく出会う。子どもも夢中になる。「な、面白いだろ」とお父さんは得意顔。これは一人前の男のすることだろうか。
 子どもと遊ぶということは、子どもの世界に下りて、子どもの興味や意欲に寄り添い、子どもが新しい世界を獲得するのを助けることだ。自分の世界に子どもを引き込むことではない。幼児期は、直接体験を通じて、からだと感覚で世界を認識していく時代である。電子機器による疑似体験は、人間関係を取り結ぶ力を育てず、思春期の問題行動につながることが懸念されている。
 電子メディアの急速な発達と普及は、新時代を切り開きつつある。それは人類の英知と言うべきだろう。子どもたちは、この新しい文化をいつか自分のものにしなければならない。それを教育問題として捉えれば、与える時期と方法は適切に選ばれなければならないだろう。
 電子メディアは、道具としてのすぐれた側面からだけでなく、子どもにとっての環境問題としても真剣に考えてほしいと切望する。そして、昔ながらの人と人とがぶつかり合う遊びを、お父さん、大切にしよう。


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幼稚園教育要領の改正  文部省に反省なくていいのか

                                         理事長 能  登 眞 作


   「あそび重視」に改善されたが、これまでの『教育要領』に対する文部省の
  反省がなければ、現場には新たな混乱がもたらされるのはないか

 文部省は先に「幼稚園教育要領」を改正、この4月1日から実施に移しました。今度の改正は、幼児教育における遊びの重要性を強調し、保育者の指導性を認めるなど、従来の「教育要領」の弱点をある程度まで手直ししています。その限りでは改善と言えるでしょう。しかし、文部省はこの改正の理由を、これまでの「教育要領」は適切だったが、一部に正しくない理解があったので修正・補足するとしています。そうでしょうか。
 これまでの教育要領は、幼児教育のねらいは「心情・意欲・態度」にあるとして知的発達を軽視していました。また、個性を尊重するとして、集団の遊びや活動を軽視しました。さらに保育者の役割について、文部省の講習会などで「指導ではなく援助」だといい、「見守り保育」を強調したのです。具体例として、子どもたちをもっと外で遊ばせようとして「外へ行こう」と声をかけるのは、子どもの自発性を損ねるもので好ましくない。室内の遊具を減らし、外に楽しいものを置くなどして、子どもの気持ちが自然に外に向くように環境を整えるのが先生の役割だ、というような愚かな講習がおこなわれていたのです。
 ところで小学校の「学級崩壊」が低学年にまで広がってきたことについて、親の意識、家庭環境や地域環境の変化など、複雑な理由が考えられますが、これまでの幼稚園教育要領や保育所保育指針にも一半の責任があるのではないでしょうか。
 その文部省の率直な反省がなく、一部に正しく理解しない者がいたからというのでは、幼児教育の現場は、きちんと軌道修正することができないのではないかと心配です。
 そもそも幼児期の子どもは、自分のからだで直接体験する遊びや活動を通じて、周りの世界を認識していくのです。それを友だちと共感しながら体験する中で、人間らしい感情、豊かな話し言葉と知性、社会性などを身につけていくのでしょう。つまり生き生きした遊びの中でこそ、文部省のいう「心情・意欲・態度」も育っていくと思います。
 子どものそのは、新幼稚園教育要領が「遊び重視」に一歩前進したことを歓迎します。そして私たち自身は、文部省の方針に盲従しないで自主的に保育を考え実践してきたことによって、今日の保育内容を確立することができたことを再確認し、これからも親と保育者の協同によっていっそうの前進を図ります。


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おふくろの味は家庭の文化 食べる意欲を育てる


食べる意欲=活動意欲

 食べるということは人間にとって基本的な要求なのに、それが育たないのはなぜでしょうか。
 好き嫌いの多い子が目立ちます。野菜だめ、魚だめ、肉だめ、牛乳だめ、このごろは果物だめという子も少なくありません。食の細
い子、食べることに意欲が乏しく、じっと座って食べられなかったり、遊び食いをしていて、なかなか終わらない子、口当たりのいいものばかりたべてきたせいか、肉などが飲み下せず、チューインガムのようにいつまでも噛んでいるケースもあります。
 困ったことに、食べる意欲の乏しい子は、遊びや活動にも意欲的になれません。食べる意欲と活動意欲は、ほとんどイコールの関係にあるようです。
 今年の年長組は、新学期から食欲旺盛で、どのクラスも毎日給食室へお代わりを取りにきます。給食室のお姉さんたちも「えっ、また!」と、うれしい悲鳴を上げています。でも、最初からこんな風によく食べてくれたわけではありません。
 年少組のときは、途中で飛び出す子を呼び戻して、だっこして食べさせたこともありました。牛乳の飲めない子には、箸の先につけて、ひとなめするだけ、翌日は「ふたつなめようね」と、忍耐強くにおいや味になじませようにしました。集団給食のいいところは、しっかり食べられる友だちの姿に学べることです。そして、みんなの前で食べたことをほめられ、励まされながら、その子なりにがんばって食べるの大好きに成長してきたのです。もちろん家庭の努力も大きいことは言うまでもありません。  食べる意欲は、面白い遊びに誘い込んで、積極的に遊べるようにするで、引き出される場合もあります。食べることと活動することの相関関係をきちんと把握して指導することが大事ですね。

口腔の発達と言葉の発達

 いろんな食材に触れ、味覚を発達させることも大切にしましょう。口当たりのよい、のど越しのよい、柔らかいものばかり食べていると、口腔の神経やあごの骨格、噛む力が育たず、発音や言葉の遅れにつながる場合もあります。 家庭の中でも食生活を大事に位置づけたいものです。おふくろの味は、その家ならではの食文化です。今はお父さんの通勤の都合で家族そろって食事できない家庭が増えています。お母さんと子どもだけでは簡単に済ませがちになります。せめて朝だけでも家族全員で、手抜きしない食事をしてはどうでしょうか。

 眠くない子を寝かせるのは難しいが、眠い子を起こすことはできるといった人がいます。朝早く起きるのは健康な生活リズムをつくる上で、ひとつのカギになるかもしれません。(年少組合同クラス会での能登理事長の発言から)


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文庫の講演会でわたしが学んだこと

 11月16日に広瀬恒子さんをお招きして、「子供はいつでも楽しいことが好き」という題でお話をして頂きました。広瀬さんは、親子読書地域文庫全国連絡の代表、そしてなかよし文庫の主宰など、長年子どもたちと本に関わってきた方です。広瀬さんはこの子どものそのには今回で三回目の来園になります。
 初めに、「2000年は子ども読書年」ということが、国で採択された背景についてお話されました。これは今までの日本の歴史の中で初めての画期的なことだったそうです。子どもの本の出版業界の危機的な状況や子どもたちの読書離れ、子どもたちの荒れ、キレなど、様々の理由からその解決策の一つに、こどもと読書を結び付けていくという試みから、この企画が打ち出されたそうです。

子育ての中で絵本の果たす役割

 次に絵本を紹介しながら、子どもと絵本についてお話されました。
 小子化時代の子育ての難しさの中で、「ぎょうれつぎょうれつ」という絵本に登場するお母さんのように子どもを「待つ」ゆとり、一息いれる「間」の大切さにふれて、子育てのヒントを与えてくださいました。
 また、キャベツについてきた青虫をちょうちょうに育てた親子のエピソードを通して、「はらぺこあおむし」の絵本の生きた読み方を話して下さいました。また、絵本を通して、具体的に子どもの育ちに絵本が関わる大切さを紹介されました。例えば、「おおきるなるっていうことは」の本の中から、子ども自身が大きくなるということはどういうことなのか、小さい子にはどうすればよいのかなどを知ることができるし、「そのつもり」ではそのつもりになれる想像力、言葉を幼年期に楽しいお話や読書によって沢山身につけ豊かにしていくことが大切だとお話されました。そして、どの子どもも「やねうら」つまり空想やファンタジーの世界を持っていて、それを大事に育てていくために絵本との出会いがあると話されました。

絵本との出会いを大切に
 その本の出会いを作るためには、身近に本があること、しかし、それだけでは駄目で「読んであげる事が大切」であるということです。昆虫の本で有名なファーブルが一冊の本に出会った事例をあげられました。ストーブに薪が沢山入っていても、それに火をつける口火がなければ燃えない。その口火に火をつけることが、本との出会いであり本の魅力を声に乗せる人の存在なのです。
 今の子どもたちには楽しいことがたくさんあり、身近で手軽に楽しめるテレビ文化があり、それはエネルギーを使わなくても楽しめる文化になってきています。一方本を読むということは、絵と文を通してイメージを作らなくてはならない「手間暇かかるもの」になってしまっているので、子どもたちにとって大変困難なことにになっているのです。その困難なことを乗り越えるために、大人の手助けが必要なのです。とお話されました。
 入園当初から能登さんから聞いていることなので、このお話は「そのの親」なら納得がいきます。また、お母さんが昔カッパだったとか、月にうさぎがいるというほら話を子どもにしている作家の話では、親も遊び心とユーモアを持って子どもに接し、そんなセンスが子育てに役立つことをお話されました。これは大いに、家庭でも活用できそうなことです。

読み聞かせのナマで触れ合う暖かみ

 読み聞かせをすることで、子どもにとってどんな力になるのか、お話していただきました。絵本の中の言葉を日常生活の中で自分の言葉として使っていけるようになる、子どもの感じたことを一緒に共感し、お互いに向かい合って「生」で触れ合っていく暖かみが、人間への信頼を育てていくことになる。では、テレビやビデオとは、どう違うのか。最近は絵本がビデオになっているものもありそれを見せるのとどう違うのか。
 「生」の声で読むということは、子どもにとって読んでくれる人がその時間を自分の方に向いていてくれるという、うれしさがある。また、本では何度でもページを返して見たり、立ち止まったりすることができる。そこでまた親子のふれあいが生まれる。これは一方通行のビデオなどではできないことです。
 子どもにとって読書はなによりも「たのしみ」なことである。大人は本を通して、そこから何か意味のあるものを受け取って欲しいと子どもに思わせがちだが、それだと教訓的で子どもに対して大きなプレッシャーになってしまう。「ああ、面白かった」で終わる「たのしみ」として出会わせることが大切である。文庫や児童館、図書館など色々な場で、絵本との出会いをし、その子どもに合った絵本を与えていくことです。
 では、どんな本を選んだらいいのかというと、十人十色で難しいが、手がかりとしては、ロングセラーの本を読んでみると、なぜその本がいいのかが見えてくる。また、身近な生活や季節で選んだりするのも、手ではないか。ということでした。その文庫には、そういう本がたくさんあるので、そのの親にとってはとても良い環境であることを、幸せに思いました。 学校の図書館や公共の図書館の問題点など、私たちがあまり知らないようなことをお話してくださり、参考になりました。
 最後に「童話の世界への手紙」を書いた子どものお母さんの投書は、心あたたまるお話でした。今では高校生になってしまった娘さんたちが小さい頃、童話の主人公や、動物たちにせっせとお手紙を書いて、郵便ポストにいれていたそうです。住所にはその本にでてくるいかにも、本当にありそうな住所を書いて出すのです。が、当然宛名不在で戻されてきてしまい、娘さんたちはがっかりされるのです。もう大人になってしまった娘さんたちは覚えてはいないだろうが、お母さんは今でもどこかに娘さんたちと同じようなことをしている子供たちがいるのでは、いて欲しいと。人生のほんのひととき夢の中で暮らして欲しい。というお話でした。
 自分の子どももこんな夢がもてるような、本に出会ってくれるといいなあ、と思いました。

                                    やまもと ゆみ(文庫委員)


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