7月5日午前10時、「そのの新時代を拓く200人委員会」の初会合が子どもの園ホールで開かれました。卒園生のお父さん・お母さんが中心の委員会で、「会合には出られないかもしれない」という前提で承諾してくださった方も多かったのですが、66名もの方が参加して下さり、大いに盛り上がりました。

 会は松田専務理事の司会で始まり、内山委員長が「そのの新しい展望をひらく大事業をみんなの力で成功させましょう」と力強く開会のあいさつをしました。つづいて深野園長がギターを演奏しながらの弾き語りで、合宿の手助けにきた埼大生がイメージの世界を遊ぶ「その」の子どもたちの純粋さに感動した話を引用しながら、自分もそのの先生として20年、子どもの育ちが危うい時代だからこそ、そのの保育は大事、何としても守りぬいていきたいと訴えました。

 「あと15年は現役を続ける覚悟の理事長…」と司会者から紹介された能登理事長は、「そのを設立した時は31歳だった私も年老いて、もう15年は無理ですが、延べ1万人を超える父母の皆さんの力に支えられてきたそのの保育と経営を、次の時代に引き渡すのは私の責務です。今回の土地購入の仕事を最後の大事業と考えて、全力を尽くします」と決意を述べ、200人委員の誠実・大胆な募金の取り組みを訴えました。

 このあと、参加者から意見発表があり、昔から最近までの懐かしいスライド映写で、若い時の先生たちの面影に爆笑しました。給食室心づくしの焼きそばを食べて歓談、楽しい会合を終わりました。

 創業のころの思い出

 出席者の中から、43年前に設立委員として創業に加わり、初代理事も務めた吉川道子さんが、当時の思い出を次のように語りました。
 …団地ができて人口が急増し、幼稚園はどこも満員でした。団地に幼児教室ができて、来年は幼稚園というので見学に行きましたが、いつ募集かも教えてくれません。どうしても入りたいなら毎日聞きに来なさいと追い返されました。そういう中でみんなの気持ちが反映される園を作ろうと立ち上がったのです。大変な出資をしましたが、それを生協という組織にしたのは成功でした。

 当時霞ヶ丘団地の子どもは駅の跨線橋を渡って遠い二小まで危険な通学をしていました。『西側に小学校を』という大運動の先頭に立ったのは能登さんや当時の専務理事の安田さんなど、そのの人たちでした。この運動で今の西小学校を実現しただけでなく、学校建設への国庫補助の在り方を変えさせたのです。私たちはみんなの力で子どもたちを守り育ててきました。今度の募金も必ず成功させたいですね。

 貴重なそのの保育

 続いて、やはり最初の設立委員だった豊丹生(ぶにゅう)さんが幼児期から低学年までを「幼年期」ととらえて一貫した幼年教育を探求してきた全国幼年教育研究協議会で、そのの先生たちとともに研鑚してきた歴史を振り返りながら、そのの保育を守り続けるためにも、この募金の成功のために協力したいと話してくださいました。豊丹生さんは、絵本「かっぱおやじ」の作者で卒園生の幸子さんのお父さんでもあります。

 集会はそのの歴史の一部ともいうべき古いスライドを映写し、給食室心づくしの焼きそばを食べながら楽しく歓談して、12時過ぎに閉会しました。募金活動が終わった後は、卒園生の父母の同窓会に衣替えして、永続的な親睦組織にしたいと考えています。




 「その」の新時代を拓こう
      第55回保育生協通常総会ひらく

 子どものその保育生活協同組合の第55回通常総会は5月25日に開かれました。
 あいにくの雨にもかかわらず過去最高の184人の組合員が出席しました。家族の参加者を合わせると二百数十名でホールは満席、椅子席のござのところもいっぱいでした(写真下)。
 麻生理事の開会のあいさつで始まり、議長に菅山理事と佐藤理事を選出、4つの議題を順次審議しました。
 第1号議案の事業報告、決算に続いて、第2号議案「敷地の半ばを購入し、そのの新時代を拓こ

う」が能登理事長から提案されました。「その」が借地だったことが認可問題の一つの困難となったことを考え、将来の経営の安定をも考えて、理事会が熟慮の末決断したことを報告しました。
 広い敷地の約46%、522坪を取得するのは大事業であるが、それは子どもたちを生き生きと育てる「その」の保育を守るためであり、幼稚園・保育園の一元化を希求する「その」の運営を継続するためのものであり、園児の父母はもちろん、5365人に達した卒園児の父母にも広く訴えて、資金の調達に努めたい、と決意を述べました。第2号議案も全員の拍手で決定しました。
 続いて第3号議案の保育方針、事業計画、収支

予算も拍手で承認されたのち、第4号議案の「定款の全部を改正することについて」も全会一致で決まりました。
 土地の買収資金の一部を組合員や卒園生父母に協力を求めるため「そのの新時代を拓く二〇〇人委員会」がつくられ、近く行動を開始しますので、みなさんのご協力をお願いします。




保育生活協同組合とは?

 私たちが食料品や日用品を買い求めるときに、街角の消費生活協同組合(COOP=生協)の店舗を利用したり、近所の人たちと共同購入しようとしたら、まず生協に加入して組合員にならなければなりません。家の近くにもスーパーマーケットや専門店がたくさんあるのに、私たちは、なぜ出資金を払ってまで生協を利用するのでしょうか。
 毎日食べるものだから、安全な食品を食べたい。毎日使用するものだから、安心して使えるものを手に入れたい。もし満足できない商品があれば、自分たちの手で改善していきたい。改善のための意見を聞き入れてほしい。私たちは、そう願って、生協を利用しています。
 では、子どもの保育はどうでしょうか。納得いく保育をしてくれる施設を、自分たちの手でつくり上げたいという願いによって、1964年に設立された「保育のため」の生活協同組合、それが<子どものその保育生活協同組合>です。生協立による保育施設は、全国でもたいへん珍しいといえるでしょう。
 <子どものその>は、毎年5月に総会を開催します。総会では、前年度の事業報告と当年度の事業計画を総会議案書」にまとめて組合員にお知らせし、議論し、承認をうけます。
 <子どものその>は、組合員の中から互選され、2年毎に改選される理事(20名)・監事(3名)によって、健全な経営が維持されています。財務内容や保育方針が広く一般組合員に公開され、組合員の手で運営されている保育施設。それが<子どものその>です。

      <その>の原点
 今から30余年前(1964年)の7月1日、発起人34名の連名で<子どものその>の設立の呼びかけが行われました。
 そこに書かれた中身は、私たちのこんにちの課題にそのまま通じています。
 ホームページ開設にあたり、原点にたちかえって、子どもたちの幸せをひたすら探求する<子どものその>の発展を図るために、「設立趣意書を復刻しました。

    田んぼの中での起工式

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<子どものその>の歩み

1964年 9月

人口急増による幼児施設の深刻な不足を背景に、両親の共同出資で <子どものその保育生活協同組合> が設立される。

1965年 4月

六角形の保育室をハチの巣のように連ねた園舎が完成する。
 

1970年 9月

3年がかりで3歳児から5歳児までの保育計画を自主編成。幼児の生活をコマ切れにする幼稚園教育要領の世界を否定し、集団づくりを幹とした「あそびの保育」を探求する。 

1992年 5月

再び両親の共同出資で新園舎を建設する。
 

2000年 3月

素人のお父さんたちがホームページを制作し、21世紀に向けて急速に進む情報化社会に対して、<その>のメッセージを発信する。

 

県道上福岡・大宮線から見る園舎
  
施設の概要
所在地

埼玉県上福岡市大字中福岡78

敷 地

3,960u (約1,200坪)

建 物

保育室14室、遊戯室、文庫、職員室、調理室、事務室
1,140u (約345坪)

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関連事業

保険代理店
子どものそのサービス
0492−62−2030

 <子どものその保育生協>と父母有志の出資で、系列会社<株式会社子どものそのサービス>を設立し、東京海上火災保険株式会社の代理店業務を行っています。
 自動車保険・火災保険・各種損害保険などを取り扱っていますので、どうぞご利用ください。

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設立趣意書

 お母さんたち! お父さんたち!
 児童憲章はすべての子どもが等しくよい環境の中で育てられなければならないと、うたっています。私たちはこの精神が生かされ、子どもたちが好ましい環境の中で健康に、聡明に育ち、自主性と共同性、自由な感性とつよい忍耐力をもって育つよう、心から望んでいます。そして、そのことを集団生活の中で達成していくことのできる充実した幼児施設を望んでいます。私たちはさらに、そうした幼児施設の中で子どもを育てることによって、私たち自身が育児に忙殺されることなく、ひとりの人間として充実した生活を営みたいと望んでいます。ひとりの人間として立派に生きることこそ、家庭教育をおこなう親の側になくてはならぬ姿勢の基本であると信じるからです。
 私たちのこうした念願にもかかわらず、子どもたちは交通地獄や受験地獄にさらされています。特にこの周辺地域では施設が幼児人口の急増にともなわないため「幼稚園浪人」の心配さえ現実となりました。また、かりに入園できたとしても、小さな施設に希望者が殺到する結果、まるで一時荷物預かり所のように、狭い部屋にたくさんの子どもたちが詰めこまれています。こうして「子どもたちの個性に立脚した保育」という理想は失われ、「幼稚園はもうかる」という、いまわしい常識がひろがってきました。単なる託児施設におちいったり、小学校の予備校に堕して、年齢にふさわしくない知識の詰めこみ主義におちいっている施設も決して少なくありません。このような弊害をとりのぞき、子どもたちを子どもらしく、すくすくと育てるためには営利に走らない施設をたくさんつくる以外に解決の道はありません。そしてそれは当然、国や地方公共団体(市町村)の施策として行われなければならないものと信じます。しかし、残念なことに、いま、こうした施策はなにひとつ満足にすすめられておりません。しかし、残念なことに私たちの子どもは日々に育ち、来年の四月、再来年の四月を手をこまぬいて見送ることはできません。私たちはこの現実に心をいため、やむをえない自衛の手段として、私たち自身の力でひとつの施設をつくりたいと決意しました。その方法は、共同出資によって生活協同組合をつくり、組合員の利用施設として理想的な幼児施設を建設しようとするものです。
 この幼児施設を運営するにあたって、私たちの信条とするところは次のとおりです。
一、知識の詰めこみ、小学校の予備校的な教育をしりぞけ、共同生活の規律、協同の
  精神、自主性、豊かな感性をはぐくむための生活指導に重点をおく。
二、充実した施設と完全給食、午睡をふくむ長時間保育によって、健康な心身の発育を
  はかる。
三、職員と父母の交流、協力によって、施設と家庭の一貫した教育につとめる。
四、職員の研修と討議を活発にして、たえず保育内容の向上につとめる。
五、定款の定めるところによって、出資者の総意を反映する民主的な運営を行い、父母
  の積極的な参画を得て、さまざまな予想される社会的困難をのりこえ、子どもたちと
  施設を守っていく。
 お母さんたち! お父さんたち!
 あなたのお子さんの幸せのためだけでなく、すべての子どもたちをよりよい環境の中で育てるために、そしてこんにちの急迫した事態を一歩解決するために、進んでこの組合に加入し、建設運動に助力して下さるよう、こころからお訴えいたします。
      昭和三十九年(一九六四年)七月一日
                 子どものその保育生活協同組合設立発起人会
                                 
発起人三十四名連署

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